連続出場記録途絶える
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2011年4月15日の対中日戦、8回表二死一塁で投手の代打に立った際、打席中に一塁走者の俊介が盗塁に失敗し、打席未完了のままイニングが終了。この後真弓監督は金本に代え投手を出した。この場合、試合出場は記録されるが、連続試合出場の条件には満たないため、連続出場記録が1766試合で途絶えた。この試合以降もシーズンを通して一軍で出場は続けたものの、成績は前年より落ち込んだ。また、このシーズンで日本プロ野球史上8人目となる10000打席に到達した。 2012年、44歳を迎えるシーズンにして開幕戦に「6番・左翼手」で先発出場。その後、一時は打率が3割に到達するなど好調だったため5番でスタメン起用され、その後、新井の不振により5月4日の巨人戦(甲子園)から約2年ぶりに4番として出場し交流戦が終了するまで2試合を除き4番を務めた(その2試合はマット・マートンが4番で先発出場した)。その後は打撃の調子が落ちて結果が出ず、前年と変わらず右肩痛で守備難も目立ち、8月25日の広島戦では、天谷宗一郎にレフトオーバーの打球でランニング本塁打を許した。6月3日に史上9人目となる通算1500打点を達成。6月28日に1991年の門田博光以来21年ぶり史上7人目、大学出身の選手では初の通算2500安打を達成。 9月12日に同年限りでの引退の意思を固めた事が明らかになり、その日の会見で本人の口から改めて2012年シーズンでの現役引退が発表された。会見の中で金本は自らの進退について「10日くらい前に考え始め、本当の決断は2日前くらいに決断した。いろいろ理由はあるが、自分に対して『限界かな?』という思いと、時代の流れ。いつまでもいい時のパフォーマンスを出せない自分が居るのも」と語り、また家族の話になると「子供は大泣きしていたが『いつかはやめるんだよ』と言った。母親には最初に伝えたが、『体のケアをしてくれと…』」と言う所で涙を堪えるために言葉に詰まり、更にファンの話になると「落ちぶれてからはバッシングもあったけど、励ましてくれたファンには…」とついに涙を流す場面も見られた。また、記者からの自身にとって野球とは?という質問に対しては、「長嶋さんじゃないけど、人生そのもの。野球人生を10歳から始めて、7、8割はしんどいこと、2、3割の喜びしかなかったけど、少しの2、3割を追い続けて7、8割で苦しむ。そんな野球人生だった」と感慨深いように語った。同記者会見において「記録」について聞かれた際は、「連続フルイニング出場」よりも「連続無併殺打」の方が印象深いとも語っている。 9月16日の対巨人戦で宮國椋丞から通算475本目となる本塁打を打ち、田淵幸一を抜いて通算本塁打単独10位とした。 阪神シーズン最終戦となった10月9日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)を金本の引退試合として6月11日以来となる4番左翼として先発フル出場。6回の第3打席でDeNA先発三浦大輔から中前安打を打ち直後にセリーグ最年長記録を更新する盗塁を決めた。現役最終打席となった7回裏二死一・三塁では、三浦の前に捕飛に終わった。現役最終試合は、4打数1安打1盗塁だった。試合は3-0で勝利し、荒波翔のフライを金本が掴んで試合終了となった。打点は記録できず長嶋茂雄の通算1522打点には1打点届かなかった。試合後には引退セレモニーが行われ、かつて引退試合で金本が花束を贈った清原和博から花束を受け取っている。10月18日に任意引退公示された。 2012年の10月16日に農業法人への出資金目的で現金約1,900万円を騙し取られる詐欺被害に遭っていたことが発覚し、元会社社長が逮捕されている。
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