軍用ウィットワース銃の開発
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「ウィットワース銃」の記事における「軍用ウィットワース銃の開発」の解説
トライアルでは、ウィットワース銃がとても良い結果を出している証拠があった為に、ウィットワース銃がトライアルで優勝すると考えられた。そのため、1862年5月、トライアルが完全に終了する前に、委員会が強く提案した部隊試験の為に1,000丁の「1862年型ウイットワース銃(英:Pattern 1862 Whitworth rifle)」が製造された。 1862年型ウィットワース銃は、1861年の比較トライアルで使用された重い銃身のウィットワース銃とほぼ同じであった。エンフィールド造兵廠で製造され、形状はエンフィールド銃と同じであった為に、銃剣はエンフィールド銃と同じくスパイク式のものを使用した。全長は銃剣無しの状態で4フィート3.5インチ(約130.1cm)で、銃身長36インチ(91.44cm)、銃剣無しの状態での全体重量は9ポンド13.25オンス(4.46kg)で、銃身重量は2.25kg、口径は.451インチ(11.46mm)で、0.196インチ(4.98mm)の幅があり、0.037インチ(0.94mm)の深さがある六角形のポリゴナルライフリングが彫り込まれていた。ライフリングのねじれは、一回転20インチであった。 1862年型ウィットワース銃の銃身口径の許容誤差は、0.451~452インチの僅か0.001インチ(0.025mm)に保たれ、装填を容易にする為に、銃口の形状は皿穴にされた。 1861年の比較トライアルでは、小口径のライフルのニップルと雷管の発火が急速に大きくなる事によって、銃を発射した時にニップルから逃げるガス圧が、ハンマーを損壊してしまう可能性があるという欠点が発見された為、1862年型ウィットワース銃のニップルは穴がとても小さくされ、プラチナでめっきが施された。しかしそれでも、1,000発ごとに交換することが望まれた。 その他に、1862年型ウィットワース銃の照準器はとても特殊であった。照準器はエンフィールド銃のそれと同じくラダー式であるが、照準には二つの区分があった。左側は、狙撃兵が使用する六角形弾用の照準で、1,350ヤード(1,234メートル)まで照準が可能であった。右側は、円筒形弾(英:Cylindrical bullet)用の照準器で、弾道性能が六角形弾よりも僅かに下がってしまう為に1,250ヤード(1,143メートル)まで照準が出来た。 ウィットワース銃用の円筒形弾は、口径.442インチ(11.2mm)、弾長1.292インチ(33ミリ)、重量480グレイン(31グラム)の弾丸で、六角形弾に比べてライフリングを磨耗させてしまったが、装填が容易であった。 弾丸底部には円錐台の空洞があった。この空洞は、弾丸後端部を軽くする為にあり、銃を発射した時に発生する火薬の燃焼ガスによって、 この軽い弾丸底部の円錐台は、重い弾丸前部へと押し付けられ、弾丸を押しつぶすようにして、弾丸を半径方向へと拡張、そしてライフリングに吻合させた。この拡張方式は、エンフィールド銃が初期に使用したプリチェット弾のそれと同じである。 円筒形弾は、紙を巻かれた状態で装填されたが、その時の弾丸直径は.450口径であり、拡張した時はわずか0.001インチ拡張し、六角形のライフリングにしっかりと吻合した。 兵器選択委員会が出版した最終レポートでは、ウィットワース銃に問題は無いとされ、第一印象が好意的であっため、部隊試験の規模を広げる事が決定された。そして、1863年には、8,000丁のウィットワース銃の製造が注文された。この時注文された8,000丁のウィットワース銃は、スチール製の銃身で作られたが、スチール製の銃身は33インチ(83.82cm)よりも長く製造する事が不可能であったため、結果として銃身長33インチのスチール製銃身のウィットワース銃が製造されることとなった。製造は、エンフィールド造兵廠が行った。こうして1863年型ウイットワース銃(英:Pattern 1863 Whitworth rifle)が開発され、1863年12月18日には、物資を規定するためにウイットワース銃は承認された。 1864年1月1日には、エンフィールド造兵廠の監督官が、8,000丁の1863年型ウィットワース銃のスペックを手紙に書き記した。以下の表がその手紙の内容である。 ウイットワース銃のスペック項目数値銃身長 33インチ(83.82cm) ブリーチ部の長さ 1.06インチ(2.69cm) マズル部の長さ 0.8インチ(2.03cm) ブリーチピンと、照準器を含めた銃身の重量 5ポンド0.75オンス(2.29kg) 六角形ライフリングの斜めの長さ .4895インチ(1.24cm) 六角形ライフリングの横の長さ .4495インチ(1.14cm) ライフリングのねじれ 一回転20インチ ライフルの重量(銃剣を除く) 9ポンド14オンス(4.48kg) 銃剣の重量 1ポンド11.75オンス(0.79kg) 銃剣の長さ(グリップを含む) 28インチ(71cm) 1863年型ウィットワース銃は、全長(銃身無しの状態)は4フィート0.5インチ(123cm)で、全体重量(銃剣無しの状態)は9ポンド14オンス(4.48kg)であった。1863年型ウィットワース銃の照準器は、1862年型のそれと同じであったが、照準器がより横に広いなどの違いがあった。ハンマーロックも1862年型のそれと同じであった。3つのバンドで銃身が固定されており、スチール製の銃身に銃剣着剣用のバーを溶接する事は非常に困難であったと考えられたため、バンドにバーが搭載された。銃剣は1860年型エンフィールド二帯型銃へと配備されたヤタガン型銃剣であったが、着剣配置が違っていたため、必然的に異なっていた。 ウィットワース銃の軍用弾薬包は、王立研究所(英:Royal Arsenal)の最高責任者であるエドワード・ムーニエ・ボクサー(英:Edward Mounier Boxer)によって開発された。この弾薬包は、ウーリッジ弾薬包(英:Woolwich cartridge)と呼ばれるものであり、7枚の弾薬包紙を使用して作成される。 弾薬包内には、弾丸、75グレインの火薬、グリース漬けの綿、張子の綿が内蔵されており、弾薬包は3枚の長方形の紙で巻かれていた。弾薬包の中心には、ストップバンド(英:stop band)と呼ばれる長方形の紙が巻かれており、これは穴あき板に弾薬包を保持させる役割があった。 綿を保護するために、綿のある弾薬包下部全体をパルプで保護し、それをテープの付いた弾薬包紙で覆った。そして、そのテープ付き弾薬包紙は、弾薬包の中心であるストップバンドの位置までを覆い、緑色の長方形の紙を巻いて固定された。 この弾薬包の装填方法は、 弾薬包の上部を手で破り、銃口内に火薬を流し込む。 弾薬包の中心にあるテープを掴んで下に引き、グリース漬けの綿を保護するカバーを切る。 カバーとパルプを剥がした後、弾丸のある部分を銃口に嵌め、不必要となった弾薬包の上側を手でちぎり取って捨て、ラムロッドで弾丸を銃身底部まで押し込む。 と言うものだった。
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