起源と地理的分布
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 11:31 UTC 版)
地中海沿岸に自生していたヤセイカンランが原産とされ、紀元前200年には古代ギリシアで薬用や食用として栽培されていた。ヨーロッパへは6世紀ごろに、航海中のビタミンCを補うために船に積んでいたケルト人によって伝えられた。イギリス、オランダ、ドイツなどで食用を目的に栽培され、多くの品種が作り出された。耐暑性・耐寒性が強いケールは、中世のヨーロッパで最も一般的な緑黄色野菜であり、食糧難の時代にヨーロッパを飢餓から救った。 ケールは、冬が訪れる地域では地表に大きく葉を広げ、1年中暑い地域では背が高くなるなど、その土地の風土や気候に合わせて姿を変えてきた。栽培しやすく栄養価が高いため、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、アジアと世界各地に広がり、重要な野菜として栽培されている。しかし冷涼な気候を好むため、熱帯地方ではほとんどが高地に限定される。東アフリカや南部アフリカでは、最も重要な葉野菜の1つである。コラード系ケールは、スワヒリ語で「(次の)週を何とか乗り切る」を意味する「スクマウィキ」と言う。東アフリカと南部アフリカでは、葉を繰り返し収穫する背の高いタイプが人気だが、中央アフリカではあまり見られず、西アフリカではまれである。熱帯アフリカでは、広く分布するポルトガルケールやマローステムケールを除けば、カーリーケール(curly kale)のような西洋系タイプはほとんど見られない。輸入品種は収量や均一性には優れているが、現地品種に見られるような病害虫への耐性がなく、消費者の好みに合わない、低地での栽培に適さない、などの問題がある。 スコットランドでは、スコッチケール (Scotch Kale)が伝統的な食生活の中で重要な位置を占めており、いくつかの方言でケールは「食べ物」と同義語である。"off one's kale "は「体調が悪くて食べられないこと」を意味する。イギリスでは第二次世界大戦中、「Dig for Victory」キャンペーンによりケールなどの野菜栽培が奨励され、欠乏する栄養素を補った。 ポルトガルではポルトガルケール(コラード系)が多く栽培され、ポルトガルの入植者によってブラジルに渡った。イタリアではトスカーナケール(カーボロネロ)が、中国では8世紀頃からチャイニーズケール(芥藍、カイラン)の茎や葉、花のつぼみが一般的に食べられている。 アメリカには17世紀に伝わったが、サラダの飾り用や花束などの装飾用が主だった。1990年代初頭から栄養的に注目され、2010年頃にセレブの間でスーパーフードとしてブレイクし、グリーンスムージーやサラダ、ケールチップスなどの人気の食材して使われている。コラード系ケールは、アフリカから奴隷とともにアメリカに渡った。アメリカ南部の家庭菜園では冬の定番野菜であり、貧しい農民の貴重なミネラルとビタミンの供給源になった。今でもアメリカ南部では重要な野菜のひとつであり、アフリカ系アメリカ人のソウルフードである。
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