起源と名称
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年輪年代学による発掘品の調査から、ラドガの街の建設は753年頃とみられる。950年にはすでに東ヨーロッパ有数の重要な交易都市となっていた。 スタラヤ・ラドガの中心は、ヴォルホフ川にイェレナ川が合流するところに建てられた古いクレムリである。かつてはこの場所が、ヴォルホフ川をこれより先には遡れない外洋船が停泊できる港として重要であった。 バルト海から航行してきたヴァリャーグ(ヴァイキング)たちの船は、ネヴァ川などからラドガ湖を経てノヴゴロドに着き、川伝いに南を目指し黒海やコンスタンティノープルへ、あるいはカスピ海へ至っていた。この交易路が「ヴァリャーグからギリシアへの道」と呼ばれる水陸交易路である。また、ラドガ湖から他の川などを伝ってヴォルガ川水系に出て、河口付近のハザールの首都イティルに至るヴォルガ交易路もあった。イティルからはカスピ海を南下し、最終的にはバグダードへ至っていた。ヨーロッパで発見された中世アラブの硬貨のうち最古のものは、スタラヤ・ラドガで発掘されている。またスウェーデンで見つかったアラブのディルハム銀貨のうち90%から95%はラドガ経由のものとみられる。 ラドガの住民はノース人のほか、フィン人、スラヴ人などが混在しており、皆違った名前でこの街を呼んでいた。フィン語のもともとの地名ではアロデ=ヨキ(Alode-joki、「低地の川」)と呼ばれていたが、ノース語ではアルデイギャ(Aldeigja)へと変化し、さらに古東スラヴ語ではラドガ(Ladoga)と変化した。
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起源と名称
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精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていない。徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったとされる(徳島市観光協会の説明より)。天正14年(1586年)、徳島城が竣工した際、当時の阿波守・蜂須賀家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥という説もある(蜂須賀入城起源説)。江戸時代には、一揆につながるとの理由で阿波踊りが禁止されていた時期もあった。その令を犯し、自宅で阿波おどりを行った家老がお家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどりは禁止された。 阿波踊りという名称は徳島県内の各地で行われてきた盂蘭盆の踊りの通称であり、昭和初期からそう呼ばれるようになった。この名称は日本画家・林鼓浪が徳島商工会議所(当時は商業会議所)に提案したものとされる。尚、徳島市や高円寺の阿波踊りではポスターや看板等において専ら「阿波おどり」と表記される。また、徳島県が発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されている。ちなみに、名称から徳島県阿波市が阿波踊りの本場と思われることがあるが、阿波市でも阿波踊りは行われるものの特別なことは特にない(そもそも阿波市自体、歴史はまだ浅く、2005年の市町村合併で誕生した新しい市である)。
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