起源と名称とは? わかりやすく解説

起源と名称

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 09:49 UTC 版)

スタラヤ・ラドガ」の記事における「起源と名称」の解説

年輪年代学による発掘品調査から、ラドガ街の建設753年とみられる950年にはすでに東ヨーロッパ有数重要な交易都市となっていた。 スタラヤ・ラドガ中心は、ヴォルホフ川イェレナ川が合流するところに建てられた古いクレムリである。かつてはこの場所が、ヴォルホフ川をこれより先には遡れない外洋船が停泊できる港として重要であったバルト海から航行してきたヴァリャーグヴァイキング)たちの船は、ネヴァ川などからラドガ湖経てノヴゴロド着き川伝いに南を目指し黒海コンスタンティノープルへ、あるいはカスピ海至っていた。この交易路が「ヴァリャーグからギリシアへの道」と呼ばれる水陸交易路である。また、ラドガ湖から他の川などを伝ってヴォルガ川水系出て河口付近ハザール首都イティルに至るヴォルガ交易路もあった。イティルからはカスピ海南下し最終的にバグダード至っていた。ヨーロッパで発見され中世アラブ硬貨のうち最古のものは、スタラヤ・ラドガ発掘されている。またスウェーデン見つかったアラブディルハム銀貨のうち90%から95%はラドガ経由のものとみられるラドガ住民ノース人のほか、フィン人スラヴ人などが混在しており、皆違った名前でこの街呼んでいた。フィン語のもともとの地名ではアロデ=ヨキ(Alode-joki、「低地の川」)と呼ばれていたが、ノース語ではアルデイギャ(Aldeigja)へと変化し、さらに古東スラヴ語ではラドガ(Ladoga)と変化した

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起源と名称

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 04:59 UTC 版)

阿波踊り」の記事における「起源と名称」の解説

精霊踊り念仏踊り原形であるといわれるが、起源明らかになっていない徳島藩成立して以後盛んに踊られるようになったとされる徳島市観光協会説明より)。天正14年1586年)、徳島城竣工した際、当時阿波守・蜂須賀家政城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥という説もある(蜂須賀入城起源説)。江戸時代には、一揆につながるとの理由阿波踊り禁止されていた時期もあった。その令を犯し自宅阿波おどり行った家老お家断絶になったという。また戦時中にも一時阿波おどり禁止された。 阿波踊りという名称は徳島県内の各地行われてきた盂蘭盆踊り通称であり、昭和初期からそう呼ばれるようになった。この名称は日本画家林鼓浪徳島商工会議所当時商業会議所)に提案したものとされる。尚、徳島市高円寺阿波踊りではポスター看板等において専ら阿波おどり」と表記されるまた、徳島県発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されている。ちなみに、名称から徳島県阿波市阿波踊り本場思われることがあるが、阿波市でも阿波踊り行われるものの特別なことは特にない(そもそも阿波市自体歴史はまだ浅く2005年市町村合併誕生した新しい市である)。

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