起源と創設者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:40 UTC 版)
「マクラーレン・オートモーティブ」の記事における「起源と創設者」の解説
2010年、マクラーレン・オートモーティブ設立。前身は1985年に設立されたマクラーレン・カーズ(McLaren Cars)。同社は1992年、マクラーレン・F1(McLaren F1)を発表する。その後、2010年にマクラーレン・オートモーティブが立ち上がる1994年から2010年の間、マクラーレン・カーズは活動を休止。当初マクラーレン・オートモーティブは、新ベンチャー企業として投資を意識し、既存のマクラーレングループ会社とは別であったが、2017年7月に創設者ロン・デニスが株を売却した後にグループに合併された。 マクラーレン フォーミュラ1の創設者であるブルース・マクラーレンは、1937年にニュージーランドのオークランドで誕生。ブルースは、故郷のニュージーランドのオークランドにある両親のサービスステーションとワークショップで車とエンジニアリングについて学び、15歳までオースチン7アルスターの地元のヒルクライムに所属。1958年、ブルースは「Driver to Europe」計画 (オーストラリアとニュージーランドのレーサーがヨーロッパで競争するのを支援することを目的) のために、イギリスへ。そこで彼のメンターであるジャック・ブラバムから、サリーのサービトンに拠点を置く、クーパーカーズという小さなチームを紹介される。幸運にも1958年にF1のキャリアをスタートさせたブルースは、1年後にF1チームに加入。その同じ年、彼は22歳で米国グランプリを獲得し、最年少のグランプリ優勝者となる。彼はさらに7年間クーパーに在籍し、さらに3つのグランプリやその他のレースで優勝し、またジャガーとアストンマーティンのステアリングも握り、1966年にはフォードでルマン24時間レースで優勝を果たす。 ブルースは1963年にブルース・マクラーレン モーターレーシングを設立。1年後、同社は最初のマクラーレン・レースカーであるM1Aを製造。 その後継車であるM1Bで参加したCan-Amチャンピオンシップでは、ライバルのポルシェのほぼ3倍の43勝という圧倒的な勝利を収める。 1965年、最初のマクラーレンフォーミュラワンカーであるM2Bがモナコグランプリでデビューを果たす。 F3での勝利の後、マクラーレンはプロトタイプのM6GT登録OBH 500Hの設計およびテストを実施。これは、推定最高速度が165 mph、時速0〜100mphの軽量スポーツカーとなるが、ブルースはプロトタイプが完成する直前の、1970年に自動車事故で亡くなる。
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