起源と初期の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 11:44 UTC 版)
紀元前3世紀、ヴィスワ川近辺にバステルナエ族、スキリア族、ヴァンダル族の3部族が存在していたと考えられている。最初にスキリア族の名を記録したのはオルビアのプロトゲネス碑文で、「ガラティア人とスキリア人 (Γαλάτας και Σκίρους)が大挙して黒海北岸を襲撃したことを伝えている。この碑文は紀元前220年から紀元前200年ごろのものと推定されている。「ガラティア人」は、しばしばケルト人の影響を受けたゲルマン人のバステルナエ族に比定される。実際、紀元前3世紀にバステルナエ族とスキリア族がこの地域に現れたというのはあり得る話である。バステルナエ族とスキリア族は、ザルビンツィ文化やポイエネスティ=ルカセフカ文化と深くかかわっていた。一方で、ゲルマン人の状況も広く記録しているガイウス・ユリウス・カエサルの著作には、スキリア族の名は見られない。 1世紀、ローマの著述家大プリニウスが、ヴィスワ川近辺のアエニンギアという地にSciriと呼ばれる部族が住んでいることを記録している。同時に大プリニウスは同じ地域にサルマタイ人やウェネティ族、Hirri族も住んでいたとしていることから、この地域はおそらくバルト海に近かったと考えられている。『ゲルマニア』を著したタキトゥスの著作には、スキリア族の名は見られない。 スキリア族は、3世紀のゴート族のバルト海への勢力拡大に参加していたと考えられている。 300年ごろにローマ帝国で製作されたヴェローナ・リストでは、帝国近辺に住む「野蛮人」の中で、スキリア族が西のサルマタイ人と東のカルピ人に挟まれて居住しているという記述がある。ウォルター・ゴッファルトは、この時のスキリア族の居住地域はドナウ川下流部の渓谷地帯だったとしている。ピーター・ヘザーは4世紀ごろのスキリア族がカルパティア山脈の東側にいた可能性を示しているが、マルコム・トッドは黒海北岸であるとしている。
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