評論活動の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 06:54 UTC 版)
評論家の活動は対象とする分野の発展や研究に寄与することもあるが、一方でその評論の内容次第では、対象分野の発展を阻害するような事態も起こし得る。 たとえば、評論家が一定の実力(すなわち社会的影響力の強さ)を持つようになると、それを悪用して本来高水準である作品を低く評価したり、作者と評論家の交友関係や相性、あるいはジャンルの好き嫌い、すなわち評論家のごく個人的な嗜好や価値観によって、特定の作家や作品について不当に低い評価や過剰に高い評価を下すという事態も発生する様になる。評論である以上、自身の私見・感想や意見をその文言に盛り込むのは当然ではあり、また評論家の権利と言えるが、客観性が著しく欠如した不当な評価を繰り返した場合、その評価を下した評論家自身が「正しい判断の出来ない評論家」としてその権威と説得力を喪失してしまう事もある。例えば、映画評論家のおすぎは、作品や俳優に対して極端に好き嫌いがはっきりしている人物であり、それが評論内容にも顕著に現れるため、その批評姿勢については他の同業評論家等からも批判を受けている。 また、その世界の人気者として知られる特定の人物や団体を激しく攻撃・非難することで評論の世界で名を売ったり、業界内部で実権を持つ特定の人物や団体を持ち上げて交友関係を持ったりといった手法で、評論家がその業界に影響力を及ぼそうとするケースが見られる。具体例としては、落語評論家の安藤鶴夫がいる。安藤は新作落語を手がける落語家を評論という形で徹底的に攻撃・排斥し、一方で古典落語界の権力者である人物はやはり評論で持ち上げ支援し、これにより昭和中期の落語界に大きな影響力を及ぼした人物であるが、自身が嫌う落語家に対しては客席で露骨に「鑑賞拒否」の態度を取るなどという嫌がらせにも近い行為を見せた。5代目春風亭柳昇によれば、安藤は人気が上がって世間から持て囃される落語家を毛嫌いしており、落語評論の世界で名を上げ、落語界への影響力を持つことを目的に、特定の落語家を標的に選んで計画的に喧嘩を仕掛けているという旨の噂が寄席の楽屋では立てられていたという。同様の例として、音楽評論家の宇野功芳がいるが、宇野の場合は当時の「楽壇の帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンなどを激しく攻撃する一方で、日頃批判している演奏家の演奏や録音も評論のためにきちんと聞く姿勢を持っており、出来が良いと感じれば絶賛するという一面もあったため、安藤の様に大きく問題視されなかった。 評論家の言動には、名誉毀損や営業妨害に該当する内容が多分に含まれる場合がある。また、「評論」を通じて欠点や弱点の暴露や痛烈な批判を繰り返し開陳することで、批判的な世論を形成したり、対戦競技の場合はライバル選手に有利な情報をもたらすことで、極論すれば評論家が評論の対象とした人物の職業生命を直接に脅かす事が可能になる場合もある。そのため、時に評論家の言動はその対象とされる側にとっては単なる目障りを超えて死活問題にもなる事がある。それゆえ、評論内容を巡って法律問題・訴訟・告訴などにも発展するケースはまま見られ、評論家や評論を掲載した出版社に損害賠償が命じられる場合もある。上述した安藤鶴夫に至っては、評論で痛罵された事に激怒した柳家権太楼に本気で殺し合いの決闘を申し込まれてしまい、第三者を介して大慌てで詫びを入れ筆鋒を収めざるを得ない状況に追い込まれたことがある。 ワイドショーや討論番組において、十分な根拠のない情報を前提として話を進める場合があるという指摘もある。昨今ではインターネットでの情報収集が容易であり、評論家が自身での情報収集を怠ることも僅かにある。
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