西田家
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(鳥取県米子市博労町) 西田家は屋号を“ぶしや”といい、仏像・位牌を彫り商うことを家業としていた。家伝によると、西田家の祖・太平(号は文周)は現在の鳥取県東伯郡北栄町(旧北条町)の出身で、京都での修行後、米子に居を構えた。天保年間(1830年~1844年)のことである。爾来、西田家に男子なく、3代に亘り婿養子を迎えた。父・久米造(旧姓小竹)もその1人で、当時、鳥取県巡査を拝命していたが、明治20年(1887年)、西田家に入籍し家業を継いだ。 税は西田家について、自伝の中で「我が家を古今一貫して流るるものは戦闘的精神である。破邪顕正の赤い血であった。もと我家が現姓を称て世に立てるは、今より程遠くもなき幕末の世にして、余を以て僅(わず)かに第五代とする。始祖文周以前の事は明らかでない。唯々“遠祖は伯耆羽衣石城主・南条虎熊の家臣穴谷平八郎なりし”と伝え聞くのみである。」と書いている。 曾祖母・しま 祖母・しか 父・久米造(岩井郡岩戸村、小竹哲次郎四男、仏師・鳥取県巡査) 母・つね(米子町大字博労町、西田万次郎(旧姓岡本)の長女) 兄・英文 兄・西田より六歳の年長で、文字通り郷党の信望をあつめた俊秀であったという。角盤高等小学校で教師を務めていたが、大正4年(1915年)10月、耳疾のため21歳で死去した。広島陸軍地方幼年学校在学中だった西田は、葬儀が済んだ後で兄の訃報を知らされ、悲泣の思いに堪えなかったと自伝に記している。長姉星野由喜世によれば「英文が生きていたら税の人生は変っていたでしょう。陸軍を退くことは許さなかったと思います。まして革命運動に身を投ずるようなことは反対したと思います。税が陸軍に志望するようになったのは、父の言動もありますが、英文の影響が大きいと思います。国家の大事を双肩に荷なうのは軍人である。大西郷のような人物になれと励ましたのは英文でしたから。それにしても英文は立派でしたね、弟ながら男の中の男という感じでした」という。 姉 由喜世(鳥取市湯所町、星野義人の妻) 茂子(西伯郡東長田村、村田秀善の妻) 弟 弼同妻・悦栄(旧姓村田) 博同妻・愛(境港市中町、村上栄二長女) 正尚同妻・綾子(旧姓菊地) 妻・はつ(東京市本所区、佐藤新兵衛長女) 1979年放送のNHK特集『戒厳指令「交信ヲ傍受セヨ」 二・二六事件秘録』に出演し、2・26事件当時を回想している(事件当時の栗原安秀との電話での会話の傍受録音も放送されている)。この内容は、番組のプロデューサーであった中田整一の著書『盗聴 二・二六事件』(2007年、文藝春秋)に収録されている。
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西田家
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「ずっとあなたが好きだった」の記事における「西田家」の解説
西田 春子 演 - 高田敏江 美和の母。心優しく美和の理解者ではあるが、夫・常雄には逆らえない。 西田 常雄 演 - 橋爪功 美和の父。仙台で和菓子屋を経営。美和を気に掛けてはいるが、店の経営資金融資が、桂田家の口添えであることから、美和の離婚・大岩との復縁を認めることが出来ない。 娘の高校時代の事件を裏切りだと感じており、その以降信用していなかったが、物語終盤、大岩と和解した。
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