西洋の鎧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 15:44 UTC 版)
ローマ兵士 ロリカ・セグメンタータ メイル プレートアーマー(ハイ・ゴシック様式) 16世紀頃の鎧 一部だけを覆う馬用の鎧(オーストリア美術史美術館所蔵) ジョストのイベント(2006年) 紀元前4世紀頃にケルト人によってチェインメイルが発明されるが、製造に手間がかかったため貴族など一部の使用に限られた。やがてチェインメイルは紀元前3世紀頃からローマ軍によって使われるようになり、帝政時代の軍団兵の多くはチェインメイルを装備していた。剣闘士には試合を盛り上げるため、腹部など急所の部分が露出し、派手な飾りが付いた鎧が支給されていた。 中世になると鎖の量産技術が完全に確立したため、チェインメイルがヨーロッパ全域で装着されるようになり、十字軍時代の1250年頃まで使用された。この頃から、騎兵にとって歩兵から狙われやすい脚部、次いで腕部と、少しずつ鋼鉄板(プレート)が追加されるようになった。やがて全身を覆い出すようになってプレートアーマーとして完成する。鋼鉄製の鎧は刀剣はもちろん、槍や矢もかなり防ぐことができた。そのため鎧の上からでも打撃を与えやすいメイス類や鎧を破壊するための爪(ピック)が普及した。プレートアーマーの欠点は、通気性に乏しく着用者が熱中症に陥りやすいこと、着用者の体格に適合していないと動きやすさが制限されること、そして可動部が破損・変形すると自由な動きが妨げられることである。たとえばアジャンクールの戦いでは重装のフランス騎士団が泥に足をとられて軽装の英兵に惨敗している。 重量の増加に合わせ軍馬は優れた運搬能力とスタミナを有しながら、それなりの速度も出せる大型の馬(デストリア)が使われるようになった。またバーディング(馬用の鎧)も頭や首を保護する簡易的な物から全身を覆うものへと強化されていった。 現在プレートアーマーとして知られる装飾性の高い物は、騎士の戦場での重要性が低下した1400年以降に出現したものであり、騎士の役割りが、戦士としてより指揮官としての面が強くなり、身分を象徴するようになったことを反映している。この頃は日常においても、ファッションとしてプレートアーマーの一部を装着する事が流行する。バーディングも華美な装飾が施された物が登場した。 1500年代後半を境に、プレートアーマーで身体を覆う面積が少なくなっていき、半甲冑へと移行する。銃砲の発達に対抗するために重量を増したプレートアーマーに、着用者が耐えられなくなり、やむなく面積を減らす事で対応したのである。それにも限界があり、徐々にプレートアーマーは用いられなくなる。第一次世界大戦期まで胸甲騎兵として命脈を保つものの、騎兵そのものが時代遅れとなり、消滅する。馬用の鎧も次第に軽装となっていき、プレートアーマーを使用しなくなると運搬能力はデストリアに劣るがより速度の速い中間種(ハクニーなど)が好まれるようになった。 ヨーロッパでイベントとして行われるジョストでは見栄えの良いプレートアーマーやフリューテッドアーマーが好んで使用される。 鎧の例 キュイラス(英語版) - 胴鎧 リノソラックス(英語版)(リネンキュラッサとも、「リネン製胴鎧」の意) - 古代ギリシア、マケドニアで使用された布を獣脂で重層にした胴鎧 マッスルキュイラス(英語版) - 古代ギリシア後期に出現後、紀元前5世紀から4世紀にかけて普及した。理想の肉体美を表現した金属鎧 ハルニッシュ(ドイツ語版) - 乗馬を想定して作られた全身金属製の鎧 ロリカ・セグメンタタ フリューテッドアーマー(マクシミリアン式甲冑) プレートアーマー メイル(ホーバーク、チェインアーマー) スケイルアーマー コート・オブ・プレート レザーアーマー ラメラーアーマー ブリガンダイン
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