西洋の風土論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 13:22 UTC 版)
西洋では古来より住民と自然との関係が論じられてきた。古くはギリシアのイオニア学派の人々が、神話的世界観からの脱却し、土と水と空気と火の四つの要素で自然を捉えなおし、それと人間社会や民族性などを論じた。こうした議論の中でヒポクラテスは『空気・水・場所について』で温暖な地域の住民の特質と寒冷な地域の住民の特質とさらに中間にあたるギリシアの住民の特質を説き、その中でギリシアの住民は勤勉で自主性に富み、独立性が高く、知性豊かであるのでアジアのような専制的政体は生まれないと自讃的な主張した。しかしこの考えは後世にも影響した。アリストテレスも、『政治論』において自己讃美的に風土と政治形態との関連を考察し、南方の住民と北方の住民とギリシアの住民の特性論じ、その中でギリシア人は聡明で武勇に優れ、優秀な政治組織を持つことができると説いている。いずれの場合も、この時代の風土論は気候的な部分が優先され風土が人間に直接的な力を及ぼすという点が認められる。 その後中世には神学の影響で風土論は一時衰えたが、近世に入るとのフランスのジャン・ボダンではその著『共和国』(1580年)で温帯、寒帯、熱帯などに分けそれらと政治との関係を述べている。同じくフランスのモンテスキューは、その著『法の精神』(1748年)でジャン・ボダンよりもさらに細かく地域を分けて気候と国家、国民性の間に密接な関係があることを論じた。ここまできても、土地柄を規定する主因として素朴に気候が取り上げられ、風土がすなわち気候とみなされがちであるが、われわれを包み込む全環境としての風土を包括的に体系化したのは、ドイツの哲学者・ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーであった。ヘルダー著「歴史哲学の理念」(1784年-91年)の中では、風土とは何か、そして風土が人間の心と体にいかに関係するかが重要なテーマであった。著作の中でヘルダーは「土地の高低、その性質、その産業、飲食物、産業。娯楽、衣服などはすべて風土の描き出したもの」とし、「人間にも動物にも植物にも、固有の風土がありその風土の外的作用を特有の仕方で受け止め、編みなおすものであると」説いた。すなわち、気候のみならず生活の様式や物の考え方が風土の上にあるという考えを示した。ヘルダーはこうした立場から民族の個性などを風土の側から捉えようとした。こうした人文科学的な立場からのヘルダーの風土論は後のヘーゲルの歴史哲学や、アレクサンダー・フォン・フンボルトやカール・リッターなどによる近代地理学の始まりに大きな影響を与えた。
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