製造の終焉と他用途への転用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 15:06 UTC 版)
「急行形車両」の記事における「製造の終焉と他用途への転用」の解説
「格下げ車両」も参照 1970年代以降は新幹線の開業や特急列車への格上げが進み、急行列車が減少したことにより、電車は1971年(昭和46年)の457系を最後に、気動車は1972年(昭和47年)のキハ65形を最後に、客車は1978年(昭和53年)の12系を最後に増備が打ち切られた。それ以降、正式な意味で「急行形」に分類される後継車両は製造されていない。なお、気動車については転換クロスシートを採用した新型車両を1982年(昭和57年)頃に試作車を導入し、1984年(昭和59年)頃に量産化を計画していたが、実現しなかった。 急行形車両製造終了後もすべての急行列車が急行形車両で運行することはなかった。車両不足や使用列車の兼ね合い、運用上の都合などから未だに一般形車両を充当するケースがあった(「遜色急行」を参照)。北海道では急行形はキハ56系しかなく、電車や客車には急行列車のみに専属で使用される車両は配置されなかった。気動車ではキハ22形が、電車では711系が急行列車に使用されたケースがあったが、どちらも扉付近にロングシートがあるものの、シートピッチも急行形と同様で座席指定用の座席番号票を備えるなど、急行列車の運用をも視野に入れた設計となっていた。客車は一般形客車(旧型客車)が引き続き使用されていたが、北海道向けに改造が行われた特急形客車である14系500番台によって1981年(昭和56年)に置き換えられた。九州ではキハ66・67形の急行列車が1975年(昭和50年)の登場時から1980年(昭和55年)まで設定された。キハ66・67形は近郊形と急行形の機能を兼ねる汎用車として製作され、車内設備は戸袋部にロングシートがあるものの転換クロスシートであり、ボックスシートが当然であった当時の急行形車両をしのぐ水準であった。 急行形として製造された車両も急行列車の廃止・削減につれて余剰車両を有効活用する観点から普通列車や快速列車に充当されることが増え始めた。例として、宇野線の宇高連絡船連絡快速列車や大阪地区の新快速、中京地区の快速列車では一時期この車種である153系電車が充当されている。1980年代からは車両の近代化とシティ電車の一環として、普通列車で使用されている客車列車の置き換えと冷房化促進のために地方路線の普通列車に転用される車両が多くなり、交直流車両で短編成化により先頭車が不足したため、不足分については直流車両の余剰車やグリーン車などから改造した車両もあり、中には扉付近のロングシート化や、一部はさらにデッキの撤去によって「近郊形化改造」した車両もあった。同じ頃から近郊形電車や団体列車用のジョイフルトレインに改造される車両も現れた。気動車では輸送量の小さいローカル線で使用するため、両運転台化やワンマン運転に対応した機器を設置した車両も登場した。なお、気動車では一般形気動車であるキハ40系において高出力車が製造されなかったため、結果的には2エンジン車が存在するキハ58系が転用されている。 一方、急行列車で使用したり、快速列車の指定席車として使用する車両については、普通車においては従来のボックスシートが陳腐化で見劣りし始めたこともあり、その対策として新幹線0系電車や在来線特急形車両が廃車されたり座席を交換された際に発生した、転換クロスシート、回転クロスシート、簡易リクライニングシート、リクライニングシートに取り替えた車両も現れた。JR化後に設定された夜行快速列車に充当する車両についても同様の改造を受けている。また四国・九州地区のキロ28形ではグリーン車の座席を取り替えることなく格下げし、普通車の指定席に転用したキハ28形5000番台・5200番台もあった。 153系 交直流車両ではグリーン車から改造した先頭車もあった(クハ455形600番台) 413系 パノラマエクスプレスアルプス 12系1000番台 キハ53形500番台 キハ28形5000番台
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