小野妹子
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小野 妹子(おの の いもこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の官人。姓は臣。冠位は大徳。妹子臣とも表記される。また、よく女性と間違えられるが,男性である。(以下詳細)。
- ^ 「小野氏系図」(『群書類従』巻第63所収、『続群書類従』巻第166所収)、『尊卑分脈』など
- ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)
- ^ “日本書紀 卷廿二 推古紀”. 日本書紀. 2008年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月29日閲覧。
- ^ 『日本書紀』巻第二十二推古天皇十六年には「唐国号妹子臣曰蘇因高」(唐国は妹子の臣をなづけて蘇因高という)とある。
- ^ 宇治谷孟の現代語訳では「煬帝」とあるが、原文に「煬帝」の語はなく「唐帝」である。
- ^ 川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって : 遣隋使覚書」『史淵』第141巻、九州大学大学院人文科学研究院、2004年3月10日、53-77頁、doi:10.15017/3694、NAID 110006263349。
- ^ 坂本太郎『坂本太郎著作集』第九巻、吉川弘文館、1989年、75、76頁。
- ^ 『日本書紀』は隋を大唐国と記し、国書の内容を記録していない。
- ^ 『日本書紀』には600年の遣隋使の記事は無いが、この時の使者も妹子と考え、「阿毎」「多利思比孤」と上記の氏祖・天足彦国押人命は関連があるとする説もある。600年は国書を持っておらず、口頭でのやり取りだったと推測される。
- ^ 『大阪府の歴史散歩 下』大阪府の歴史散歩編集委員会、山川出版社、2007年、176頁。
- ^ “大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
- ^ 唐臼山古墳(からうすやまこふん) -「大津の歴史事典」大津市歴史博物館
- ^ 『尊卑分脉』『諸家系図』は小野妹子の父を敏達天皇の息子、春日皇子としている。『新撰姓氏録』は小野朝臣を皇別とする。
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