自動ピアノの起源とは? わかりやすく解説

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自動ピアノの起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:45 UTC 版)

自動ピアノ」の記事における「自動ピアノの起源」の解説

ひとりでに演奏する楽器作ろうという発想は何世紀も前からあった。打楽器メカニズム操作する為(例え時計の中のベルを打つような)にピン打った金属筒(シリンダ)を使用するアイデアは、ピアノの発明より遙かに前に完成された。こういった仕組みはのちに金属の歯をつま弾いて音を出す、オルゴールなどといった演奏装置などへと発展していった。 オルガン構造上、自動演奏行いやすく早くから自動化されていた。送風装置から送られてくる空気によって演奏され演奏者空気調節するバルブ操作するだけで良く自動演奏ピン打ったシリンダによって理想的に行われ18世紀半ばには、手回しオルガン大きく発達したピアノという楽器は、演奏する際、さまざまな強さの力で鍵盤が弦を叩く必要のある複雑なのだった可変的な打撃力自由な演奏継続時間をうまく合わせた自動演奏装置作るのはたやすいことではないとわかったシリンダは打つのではなく相対的にやさしく変化する音を奏でる初期の手回しピアノ演奏者ハンドル回し続けることでハンマーが行来して音を奏でたが、シリンダピンが少しでも前へ行かない限りハンマーが弦を叩かず、ピンが去るまでハンマーは弦を叩き続けた結果として音楽奏でられるが、その音は人間演奏するものとは違うトレモロ人工的なダイナミックさがあった。音の継続期間や弦のたたき具合などといった様々な問題点少しずつ解決していったことで、自動ピアノより良いものへと進化していった。 世界初自動ピアノ演奏装置はForneaux Pianista社製のもので、シリンダピンバルブをあげたときに、送風装置圧縮した空気送り送風装置ピアノ鍵盤たたいて音を鳴らす仕組みだった。 空気式自動演奏装置による自動ピアノ進化1840年代加速し始め1870年代からは、いくつか目立った装置が姿を現し始めた自動演奏時代幕開け象徴するものは、1876年アメリカ合衆国フィラデルフィア開かれたフィラデルフィア万国博覧会だとされており、会場には自動ピアノ発達させる要素兼ねそろえたピアニスタを含む多く自動ピアノ公開された。 記録残っている、最も古い巻紙使った自動ピアノは、1842年作られClaude Seytre's Frenchであるとされている。自動演奏ピアノ作ろうという考え堅実だったが、巻紙読み取らせてピアノ演奏させようという試み実用的でないとされた。 1847年アレクサンダー・ベインは、巻紙使った装置を、リード空気流して音を出すリードオルガンのような“トラベリング・バルブ”と評した。この仕組みを使う単純なリードオルガンパイプオルガンは現在でも作られている。しかし、空気で動かすという方法は、ピアノには不向きだった1848年イングランドチャールズ・ドーソンは、より複雑な“トラベリング・バルブ”について記録した1849年アメリカ合衆国Hunt & Bradishが、細長いばねで、巻紙読み取る装置記録した。そのばねは、ピアノ直接演奏できるほど強かった。この装置巻紙全体重さ伝えるため、紙はすぐボロボロになり、巻紙鍵盤と同じ広さなければならなかった。 1851年イングランドPapeは、紙にかかる力を軽減するために、読み取るばねを軽くしたり、演奏装置、つまり増幅装置をより頑丈なものにする特許をとった。 世界初本格的な自動演奏装置1863年にできたForneauxである。この自動ピアノ伝統的なシリンダ用いていたが、演奏するために送風装置空気送っていた。 1871年、穴のあいたボール紙でできた本状のものがシリンダ代わりに使われたが、それでも未だにばね式のものがあった。このタイプ大量製造され始め世界初実用的な自動ピアノとされている。なお、この装置1876年フィラデルフィア展示された。 1867年Van Dusenがアメリカ合衆国でとった特許は、世界初ロールで動く空気式演奏装置だった。なお、この装置John McTammanyのものを参考にしたとされている。 1873年、Schmoele兄弟がとった特許電気ロール読み取り空気式装置電磁石で動かす空気式増幅装置働きをする“ダブル・バルブシステム”というもので、これもフィラデルフィア展示された。いくらか改良加えられた、ロール読み取る空気式自動ピアノ20年後には最後自動ピアノとなってしまうが、彼らにはこれといった利益にもならなかった。 1876年John McTammanyは、小さな力で演奏装置を動かす細長い巻紙読み取る方式自動ピアノフィラデルフィア展示した。これはリードオルガン演奏した。McTammanyは、1860年代半ばから実験続けた結果初期自動ピアノ業界名を残す人物となった。なお、彼は自分のことを“自動ピアノではなく、“演奏装置”の発明家だとしていた。 1876年フィラデルフィア自動ピアノ最後に求め要素備えた3台のピアノ展示された。しかし、これらの側面がすべて結合するには20年かかった驚くべきことにその失われた要素というのは、空気式読み取り装置だった。これは装置を動かす部分空気を送るためにあるべきだった、機密融通のきくちゃんとした機械がなかったためだった考えられた。 1920年代以降蓄音機ラジオ放送一般家庭普及し演奏装置としての自動ピアノ人気次第低下していった。

※この「自動ピアノの起源」の解説は、「自動ピアノ」の解説の一部です。
「自動ピアノの起源」を含む「自動ピアノ」の記事については、「自動ピアノ」の概要を参照ください。

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