自働算盤と航空機とは? わかりやすく解説

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自働算盤と航空機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:34 UTC 版)

矢頭良一」の記事における「自働算盤と航空機」の解説

1901年明治34年2月23歳脱稿し論文「飛学原理」と機械式計算機模型持ち小倉赴任していた森鷗外訪ねエンジン動力によって飛翔する機械発明人類飛行のために考えているが、資金がなく、機械式計算機造りそれを売って資金得たい協力要請した。以上は「小倉日記」に2月22日付で記されている。同日記の3月1日付には、矢頭に2度目会ったとあり、同日記述は「飛行機」という語の初出とも考えられている。翌1902年明治35年機械式計算機自働算盤」を発明し1903年明治36年特許得たこの手回し機械式計算機東京小石川生産・販売資金得た。(詳細機械式計算機#矢頭良一の自働算盤参照25歳ときには漢字早繰辞書」なる漢字手早く引ける辞書考案し27歳の時からそれも売り出している。また東京中央新聞明治20年創刊)に「少壮なる発明家矢頭良一氏」が12連載された。漢字早繰辞書仕組みは、山田昭彦によって確認されており、筆画を「第1種 平ニ引キタル及(略)」「第2種 上ヨリ下ニ垂下シタル線及(略)」といったように分類し筆順によって並べたコードにより引くものである1907年明治40年30歳の時、計算機販売拡張のため福岡一時行ったその後、『福岡日日新聞』にて記事空中飛行機研究家矢頭良一氏」が15連載紹介され、良一の寄稿による「空中飛行船研究の必要」も説かれた(このように残され文献に「飛行機」とも「飛行船」ともあるため、いわゆる空気より軽い航空機」と「空気より重い航空機」の、どちらであるかはっきりしていない)。こうした活動熱意によって、井上馨鮎川義介援助もあり、1907年明治40年小石川で、その後雑司が谷工場移しエンジン試作したが、肋膜炎再発で翌1908年明治41年)に没した豊前市史に掲載の『福岡日日新聞』の記事によると(同市サイト豊前人物誌』より孫引き物理単位一部現在のもの換算)、模型前後長さ3.6メートル横幅1.5メートル鋼鉄製で付属品も備わり費用は9500円。実機完成予想長さ16メートル、幅約4.26メートル面積28平方メートルであり、重量約6トン、翼の長さは約6メートル記され最大時速400マイル最小時速3マイル通常時速は200マイル製造費用は3万円であったとされる。[疑問点ノート] エンジンは「実験の結果好都合なるときは未だ無比発動機にして、重量僅かに10貫目余、20馬力、1分時間に3回転」と、良一没後に父道一記している(こちらも『豊前人物誌』)。[疑問点ノート] なお、「飛学原理」は現在行方不明である。

※この「自働算盤と航空機」の解説は、「矢頭良一」の解説の一部です。
「自働算盤と航空機」を含む「矢頭良一」の記事については、「矢頭良一」の概要を参照ください。

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