織田氏との関係構築敵対勢力との戦いとは? わかりやすく解説

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織田氏との関係構築・敵対勢力との戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 21:24 UTC 版)

毛利輝元」の記事における「織田氏との関係構築・敵対勢力との戦い」の解説

永禄8年5月、輝元が元服して3ヶ月後、京では将軍足利義輝三好義継三好三人衆松永久通らに討たれる永禄の変発生し新たな動乱火種となったその後義輝の弟・一条院覚慶還俗して足利義昭名乗り永禄10年聖護院門跡道増使者とし、輝元を後見する元就支援求めたこの道増は近衛尚通の子で、さらに兄の近衛稙家義輝義父であり、義輝使者として幾度か西国下向していた。義昭道増元就の間に構築され外交ルート活用することを考え尼子氏滅ぼして上洛が可能となった毛利氏頼ろうとしていた。 その後永禄11年1月3日付で義昭から輝元に起請文が発せられたものの、元就無用な戦線の拡大を望まず、出兵要請には応じなかった。同様の要請越後の上輝虎謙信)、越前朝倉義景尾張織田信長らにも行われたが、上杉輝虎要請難色示し朝倉義景上洛踏み切ろうとしなかった。結局織田信長がこの要請応じ同年9月義昭とともに上洛義昭朝廷から将軍任命された。 永禄12年半ば以降毛利氏織田氏交流始まった同年6月毛利氏主力九州北部出兵中、但馬山名氏支援受けた尼子氏残党出雲国侵攻した際、信長木下秀吉坂井政尚丹波へと出兵させて毛利氏支援したまた、信長敵対する阿波讃岐支配する三好氏対抗するため、毛利氏大友氏調停し和睦させた。 永禄13年3月以降、輝元と信長通交が始まるようになる3月23日付の書状では、輝元が朝廷から右衛門督に任ぜられたことに関して義昭御内書発給されたことを信長祝している。また、毛利氏要請した浦上氏攻撃に関して信長時期見て出兵する約束したことも記されている。 元亀2年4月、輝元が元就との連署信長書状発している。その内容尼子氏与して出雲伯耆沿岸部襲来した丹後但馬海上勢力に対して将軍から停止命令発給しほしいと要請したのである信長将軍にこれを奏達し、信長自身命令発している。 同年6月信長が輝元・元就宛に書状送っている。その内容は、阿波三好氏家臣篠原長房備前国児島郡襲来し将軍から停止命令発給してもらえるように輝元・元就が要請したことに関して、長房は義昭信長敵対状況にあり、停止命令効果がないというものであった同月14日、輝元を後見し続けてきた元就死去した。このとき、輝元は布部山の戦いの後も出雲に在陣中であったが、新山城攻撃目前に「元就危篤」の報が入り、元春にその場任せ、隆景と共に元就病床駆けつけたほどであった元就死により、輝元は毛利両川体制中心とした重臣補佐を受け、親政開始する9月信長元就死去弔意を隆景宛て書状示している。その書状には、「讃州表発珍重に候」とあり、毛利氏三好氏支配する分国出兵図っていたことも記されている。 輝元ら毛利氏大友氏尼子氏三好氏浦上氏などに戦い有利に進めるため、将軍権威利用し、その過程信長経由しなければならなかった。信長表面的に協力姿勢見せ毛利氏織田氏には軍事同盟成立していたが、信長自身のなかでは毛利氏への優先度低かった。 そのため、輝元は独力でこれらの敵を相手にせねばならなかった。輝元は元亀2年元就没後すぐ、尼子勢を領内から駆逐し、また三好氏分国へも侵攻したその後元亀3年1572年)には浦上氏とも和睦成立させ、事実上屈服させた。これにより、毛利氏はその包囲網瓦解させることに成功した

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