統治初期の事績とは? わかりやすく解説

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統治初期の事績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 23:45 UTC 版)

今川義元」の記事における「統治初期の事績」の解説

天文6年1537年2月、氏輝期まで抗争状態にあった甲斐国守護武田信虎の娘(定恵院)を正室迎え武田氏同盟を結ぶ(甲駿同盟)。周囲守り固めんとして行われた甲駿同盟成立は、結果的に旧来の盟友(駿相同盟)として自らの当主継承にも助力した北条氏綱怒りを買い、同年同月北条軍駿河国富士郡吉原侵攻した第一次河東一乱)。花倉の乱による内部対立を引き摺ったまま家臣団統制がとれなかった今川軍は、北条軍に対して適切な反撃が行えず河東現在の静岡県東部)を奪われてしまう。義元武田援軍連帯して領土奪還試みたが、花倉の乱で恵探側に組した堀越氏井伊氏といった遠江基盤を置く反義元派の武将らが義元から離反したため、家臣反乱北条氏侵攻との挟撃状態に陥り、河東北条氏占領されたまま長期化様相見せた。 さらに追い討ちをかける如く尾張国愛知県西部)の織田信秀天文9年1540年)に三河国愛知県東部)に侵攻開始した義元三河援軍送り三河諸侯軍連合して天文11年1542年)に織田軍との一大決戦に臨むが、その猛攻前に敗れたとされている(第一次小豆坂の戦い。ただしこの戦い後世の創作である可能性もあり)。天文10年1541年)、苦杯嘗めさせられ北条氏綱死去北条氏は氏康が家督継いだ。『高白斎記によれば同年5月25日甲斐国武田信虎嫡男武田晴信信玄)を伴い信濃国諏訪頼重村上義清とともに信濃佐久郡侵攻を行う(海野平の戦い)。信虎6月4日甲斐へ帰国すると、6月14日義元訪問のため駿州往還経て駿河出立するが、晴信により路地封鎖されクーデター発生する義元信虎身柄預かりつつ、家督相続した晴信とも同盟関係続け高遠合戦では武田援軍派遣した苦し状況が続く中、天文14年1545年)、義元は氏康と敵対する山内上杉憲政同盟を結び、北条氏挟み撃ちにする策を立てた第二次河東一乱)。同年8月22日義元憲政との同盟によって河東関東方面戦力分断されるとなった北条軍に対して義元武田援軍得て河東侵攻し同じく関東においては上杉氏上杉憲政上杉朝定)が古河公方足利晴氏らと連合し8大軍河越城包囲した河東では今川軍北条軍打ち破り関東では上杉連合軍河越城包囲し続け北条軍は西の今川軍と東の上連合軍との挟撃状態に陥り、窮地に立たされた。進退窮まった氏康は武田晴信仲介頼み義元との交渉河東の地を今川家返還するという条件和睦今川氏北条氏との争い実質的に勝利した。これにより一先ず西方安堵得た氏康は関東方面戦力集中させ、河越城の戦いにおいて苦境から一転逆転勝利収めた河東の地の遺恨巡って両者緊張関係は続いたが、北条氏関東方面への侵攻集中していったことで徐々に両者緊張関係は和らいでいった。 一方三河においては西三河松平広忠帰順を受け、嫡男竹千代(後の徳川家康)を人質迎え入れる約束交わし尾張織田家妨害を受けつつも、着実に三河勢の従属化に努めていった。この際護送請け負った三河田原城(愛知県田原市)の国人領主戸田康光裏切って竹千代敵方織田氏送り届けてしまうという事件が起こった。これは前年義元戸田氏一族である戸田宣成戸田吉光一族滅ぼしたため、戸田宗家当主であった康光が反乱起こしたものであった。これに対して義元戸田宗家武力でもって徹底的に滅ぼし、その居城であった田原城に有力家臣ある朝比奈氏を入れた。ただし、これについては近年松平広忠戸田康光連合軍松平家内部反主流派であった松平信孝酒井忠尚要請受けて介入した今川義元織田信秀連合軍戦いであり、その結果戸田氏義元滅ぼされ松平氏信秀岡崎城奪われ竹千代人質に出すことで許されたとする新たな見方浮上している。 天文17年1548年)、義元三河進出危機感覚えた織田信秀侵攻してくるが、義元軍師である雪斎譜代重臣ある朝比奈泰能らを大将とした今川軍織田軍に大勝した。(第二次小豆坂の戦い)。またこの頃までに松平信孝滅ぼした松平広忠も再び今川方に帰属している。

※この「統治初期の事績」の解説は、「今川義元」の解説の一部です。
「統治初期の事績」を含む「今川義元」の記事については、「今川義元」の概要を参照ください。

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