統治初期、ミッドランドとエセックス王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:39 UTC 版)
「オファ (マーシア王)」の記事における「統治初期、ミッドランドとエセックス王国」の解説
716年からマーシアを支配してきたエゼルバルドは757年に暗殺された。ベーダ『英国民教会史』の続編(ベーダの死後匿名によって書き足された部分)には、王は「夜、護衛によって不誠実な方法で殺害された」とあるが、暗殺の動機については言及がない。エゼルバルドの死後、ベオルンレッドが跡を継いで王となったが、この人物について詳細はほとんど分かっていない。ベーダ『教会史』続編にはベオルンレッドが「わずかな期間、不幸に」統治し、続いて「同年、オファが、流血によってマーシア王国を手にいれようと目論み、ベオルンレッドを敗走させた」とある。ただし、789年の勅許状には「オファ治世31年目」との記述があるため、758年になるまで王位に就いていなかった可能性はある。 王位継承を巡って戦いがあったということは、オファは長年マーシアの属国であったウィッチェやマゴンサエテなどに対する支配を再度確立する必要があったことを意味する。オファ治世最初の2年間の勅許状にはウィッチェの王を "reguli" または "kinglet" (小国王)としている。マゴンサエテに対する支配は早急に確立したものとみえ、740年を最後に同国独立の支配者の名は記録がない。リンジー王国に対してもオファはおそらくかなり早い段階で支配権を確立したとみられ、リンジー王家の記録はこの頃消滅していることが分かっている。 8世紀のエセックス王国(東サクソン王国)の歴史についてはほとんど分かっていないが、エセックス王国の一部であったロンドンとミドルセックスはエゼルバルドの時代にはマーシアの手に落ちていたことが資料から伺える。エゼルバルドもオファも、ミドルセックスとロンドンの土地を望むまま与えていた。767年のオファの勅許状では、現地王を証人とすることなくハーロウの土地処分についての記載があり、ロンドンもミドルセックスもオファ治世の始まりのころからオファ支配下にあったとみられる。エセックス王家は8世紀まで存続していたため、エセックス王国では8世紀のほとんどまたはすべての期間、マーシアの強い影響下で、現地王家を維持していた可能性が高い。 オファが治世の初期から古くからのマーシア中心地以外で大きな影響力を持っていたとは考えにくい。エゼルバルドによって獲得したイングランド南部の支配権は、継承権をめぐる内戦の間に崩壊したように見え、オファがケントに影響力を持っていたという史料が得られる764年までは、マーシアの勢力が再び拡大することはなかった。
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