統合までの経緯
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「コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス」の記事における「統合までの経緯」の解説
2016年4月26日にコカ・コーライーストジャパンとコカ・コーラウエストの両社が経営統合に向けた協議を開始することに合意。その後、詳細の協議を経て、同年9月30日に、翌2017年4月に持株会社『コカ・コーラボトラーズジャパン』の下で経営統合することが正式に発表された。統合後のグループ売上高は約1兆円と、サントリー食品インターナショナルの国内事業売上高を抜いて首位となる。これにより、1都2府35県をカバーし売上高1兆円、国内のコカ・コーラ商品の9割を網羅する巨大ボトラーグループが誕生する。 統合の形式については、コカ・コーラウエスト(初代)がコカ・コーライーストジャパンを株式交換により完全子会社にし、且つ自社事業は会社分割により設立する子会社の新CCW設立準備株式会社に承継させ、自身は持株会社となることとした。同時にコカ・コーラウエスト(初代)が「コカ・コーラボトラーズジャパン」へ、新CCW設立準備株式会社が「コカ・コーラウエスト(二代)」へ商号変更する。「コカ・コーラボトラーズジャパン」の本社機能は東京に、本店はコカ・コーラウエストの本社所在地である福岡県福岡市に置き、福岡に本店を置く企業としては、九州電力、トヨタ自動車九州に次ぐ3社目の1兆円企業となっていた。取締役は代表取締役2名を含む9名で構成し、2社にザ コカ・コーラカンパニーを加えた3社がバランス良く取締役候補者を選出することとされた。しかしその後、本店も東京へ移転したため、短期間での合併対策といえる。 またコカ・コーラウエストは、スポーツチーム2球団(コカ・コーラレッドスパークス=ラグビー(ジャパンラグビートップリーグ所属 本拠地:福岡市)、コカ・コーラレッドスパークス=ホッケー(ホッケー日本リーグ女子1部リーグ所属 本拠地:広島市))の親会社を務めているが、この2球団についても統合後もスポンサーに就くとしている。このほか、コカ・コーラウエストは2016年からプロ野球・福岡ソフトバンクホークスの左袖ユニフォームのスポンサーを務めているが、これについても2017年シーズン以降も継続されている。 2017年4月1日、経営統合が実施され、持株会社となった「コカ・コーラボトラーズジャパン」の傘下に、コカ・コーライーストジャパンとコカ・コーラウエスト(二代)が置かれる体制となった。「コカ・コーラボトラーズジャパン」の代表取締役社長にはコカ・コーラウエスト(初代)の社長であった吉松民雄が就任(留任)し、代表取締役副社長 最高財務責任者(CFO) 兼ゼネラルマネジャー トランスフォーメーションにはコカ・コーライーストジャパンの副社長執行役員であったヴィカス・ティク(ザ コカ・コーラカンパニーのアジアパシフィックグループ最高財務責任者(CFO)などを歴任)が就任した。 この結果、日本におけるコカコーラのボトラーは、コカ・コーラボトラーズジャパンの他、いづれも、地元の企業・団体などが出資した事実上のフランチャイズボトラーとして、北海道を担当する北海道コカ・コーラボトリング、青森県・岩手県・秋田県の北東北3県を担当するみちのくコカ・コーラボトリング、富山県・石川県・福井県・長野県の北信越4県を担当する北陸コカ・コーラボトリング、沖縄県を担当する沖縄コカ・コーラボトリングの5社体制となった。
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統合までの経緯
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2004年(平成16年)10月に発生した中越大震災などを受け、公立学校の耐震化を進める目的で文部科学省が2006年(平成18年)に定めた「公立の義務教育諸学校等施設の整備に関する施設整備基本方針」に基づいて町内の文教施設の耐震診断が行われた。その結果、当時の湯沢中学校の校舎が危険建物に認定され、4つの小学校舎も耐震改修が必要と診断された。それを受けて2007年(平成19年)12月に湯沢中学校建設検討委員会が設置され、「湯沢中学校建設基本計画書」が策定された。更に計画書を元に内部で検討が行われ、2008年(平成20年)に廃校になった新潟県立湯沢高等学校跡地と湯沢中学校の用地に町内の小学校5校及び中学校1校を統合した小中一体型校舎と、保育園5園を統合した認定こども園を整備する教育構想が策定され、2009年(平成21年)から「湯沢町文教施設整備計画」の形で地域に説明会が行われた。2010年(平成22年)5月には一般公募町民や保育園、小・中学校の保護者及び職員、学識経験者、行政職員を交えた湯沢町文教施設整備委員会が立ち上げられ、2011年(平成23年)2月に「湯沢町統合文教施設検討結果報告書」としてまとめられた(湯沢学園構想)。同年7月には「湯沢町統合文教施設基本計画」が決定した。 これらを元に基本設計や実施設計が行われ、2012年(平成24年)に着工、2014年(平成26年)に開校した。また湯沢中学校跡地に認定こども園が2016年(平成28年)に開園した。
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