紙ベース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/08 18:25 UTC 版)
紙ベースで判例が公表される場合、たいてい次のような情報が含まれている。 判例集の題名 (判例集の)巻数 頁数 裁判のなされた年 イギリスやオーストラリア等いくつかの国においては、判例集の巻数はその発行年数と関連していない。そのため、引用の対象となる判例を表示するにあたっては、それが掲載されている判例集の発行年数及び巻数(4巻以下に収まっていることが多い)のいずれもが必要になる。このような場合、判例の引用にあたり、通常[年]の記載は角括弧でくくられる(この場合における「年」は、判決が言い渡された年ではない。例えば、2001年12月に言い渡された判決が2002年発行された判例集に登載された場合、2002年が当該「年」となる)。
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紙ベース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 22:09 UTC 版)
「ビデオゲームジャーナリズム」の記事における「紙ベース」の解説
今でも継続的に出版されているアーケードゲーム業界をカバーする最初の雑誌は、1974年に出版を開始し、硬貨投入型の娯楽業界全体(ビデオゲーム部門を含む)を対象とした業界誌「プレイ・メーター」である。消費者向けビデオゲームのジャーナリズムは、1978年のスペースインベーダーの成功直後のアーケードビデオゲームの黄金時代に始まり、テレビ放映や新聞や雑誌などで新興のビデオゲーム媒体に関する何百もの有益な記事やストーリーにつながった。北米では最初の『Video』誌のビデオゲームに関する消費者志向の日常コラム「Arcade Alley」が1979年より始まり、ビル・カンケル、アーニー・カッツ、ジョイス・ウォーリーによって書かれた。1970年代の後半に日本で、パソコン雑誌と漫画雑誌のコラムでビデオゲームに関する特集が組まれた。最も初期のビデオゲームの独占特集記事が1981年後期に現れたが、早期のコラムベースの特集が北米や日本で盛んになった。その著名な例として、1980年代初めの週刊少年ジャンプに掲載されたゲームデザイナーの堀井雄二のコラムや 、1982年から1992年まで全国に配信されていたローソン・ストローバルの週刊コラム「The Vid Kid」がある。 最初の消費者志向のビデオゲーム専門雑誌は「Arcade Alley」ライターのビル・カンケルとアーニー・カッツとジョイス・ウォーリーによって1981年10月にアメリカで創刊された『Electronic Games』であり、その次が1981年11月にイギリスで創刊された『Computer and Video Games』である。2019年時点で、現在も刊行されている最も古いビデオゲーム雑誌は1986年創刊の『ファミ通』でその次が1989年創刊の『エレクトロニック・ゲーミング・マンスリー』である。 1983年のアタリショックにより西洋のビデオゲーム雑誌市場は酷く傷ついた。1981年11月創刊の『Computer Gaming World』は1984年に18もあったコンピュータゲーム雑誌で生き残ったのは自誌のみであったと1987年に述べた。一方日本では1982年から最初のビデオゲーム専門雑誌が登場し始め、アスキーの『ログイン』を皮切りに、角川書店の『コンプティーク』やソフトバンクの『Beep!』等が創刊された。コンシューマーゲーム及び特定のゲーム機に特化した雑誌は徳間書店が1985年に創刊したファミリーコンピュータ専門誌『ファミリーコンピュータMagazine(ファミマガ)』が最初である。この雑誌は後に1986年創刊の「ファミコン通信(後のファミ通)」、1988年創刊の「ニンテンドーパワー」等といった有名な模倣雑誌を生んだ。 1990年代初め、ビデオゲームジャーナリズムはロシアや中国等の国々でのビデオゲーム市場出現に伴い、ヨーロッパから東へ、日本から西へと広がり始めた。ロシア初の消費者指向のゲーム雑誌「Velikij Drakon」が1993年に発売され、1994年中頃に中国初の消費者向けゲーム雑誌「DiànzǐYóuxìRuǎnjiàn」と「Play」が発売された。
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