米国の取組
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「テクノロジーアセスメント」の記事における「米国の取組」の解説
米国議会技術評価局(OTA)は、ニクソン大統領政権後期の1972年に制定された法律に基づき設立された。世界で初めてのテクノロジーアセスメントに特化した機関である。設立の背景には、政府科学技術予算の急激な増大、社会における科学技術の社会的・政治的便益への疑問、科学技術に関する立法活動の活発化、行政府と立法府との権力のバランスに対する意識の高まりがあったとされる。米国議会下院科学宇宙委員会の科学研究開発小委員会小委員会の委員長であり、テクノロジーアセスメント法案の成立に深く関わったコネチカット州の民主党議員であるエミリオ・Q・ダダリオがOTAの初代局長(1973-77)に就任した。200名弱のスタッフを抱えるOTAの意思決定機関として技術評価理事会(TAB: Technology Assessment Board)があり、OTAのアジェンダや所長を決定したり、議会とOTAのつなぎ役を務めていた。TABは、上院・下院議員6名ずつからなり、民主党員と共和党員が同数になるようにしてOTAの活動が超党派性を保つように設計された。また、TABを支援するものとして、技術評価助言委員会(TAAC: Technology Assessment Advisory Council)があり、TABによって任命された科学や技術の専門家から構成され、TABからの要求に基づいてOTAの運営や特定のアセスメントについて勧告を出すことを任務としていた。 2代目所長に就任したラッセル・W・ピーターソン(1978-79)(前デラウェア州民主党知事)はOTAを議会からの独立したものとしようとしたが、アジェンダ設定に関する固有の役割を侵害されたと考えた議員の反感を買い、わずか1年半でOTAを辞してしまう。3代目所長を務めたジョン・H・ギボンズ(1979-93)(前オークリッジ国立研究所研究ディレクター)は議会からの独立ではなく、議会に非党派的なサービスを提供することを鮮明に打ち出した。スタッフ自ら議会委員会のニーズを調査するなど大胆な改革を行い、存在意義が問われて危機にあった組織を立て直した。また、TAの焦点を早期警報から「広義の技術の適用の短期的・長期的影響への議員の理解と対応を支援する客観的情報と分析」の提供に移し、TAを「特定の形態の政策分析」と位置づけた。OTAはギボンズの後を引き継いだロジャー・C・ハードマン(1993-95)の下で、短期的・長期的改革を進めたが、第104回議会でOTAにかかるすべての予算を削減され、1995年9月29日に活動を停止した。 OTAの最初期はシンクタンクに調査研究を委託する形が多かったものの、シンクタンクはTAを必要とする政治的な文脈に関する問題意識に欠けており、役に立つ結果が得られなかったとされる。そのため、その後はOTAのスタッフ自身が調査研究を担い、各調査研究にステークホルダーと専門家からなる助言委員会を設置して助言を仰ぐことにした。助言委員会では非公式な合宿をすることで委員同士の交流を深め、問題認識の共有化を進め、話し合いを有用なものにしていった。OTAは年間約50件のプロジェクトを実施し、総計で750近くの報告書を作成した。それぞれの量は比較的多く、少ないもので80頁程度、多いもので200〜300頁弱に及ぶ。また、予算として、各プロジェクト平均約50万ドルを費やしていたという。 現在、米国でTAないしTA的活動を実施している機関ないし制度として、会計検査院(GAO)、議会調査局(CRS)、全米研究評議会(NRC)、ウッドロウ・ウィルソン国際学術センター(WWC)、国際テクノロジーアセスメントセンター(ICTA)、アリゾナ州立大学社会におけるナノテクノロジーセンター(CNS-ASU)、エンバイロメンタルディフェンス・デュポン連携プログラムなどがある。
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