米国の制裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/06 17:54 UTC 版)
「サーデグ・マフスーリー」の記事における「米国の制裁」の解説
2010年9月、オバマ米大統領による大統領命令署名を受け、米国務省と米財務省は連名で、特に前年のイラン大統領選挙後の混乱を受け、「イラン国内で人権を持続的に、かつ甚だしく侵害した複数の責任者」を対象とする制裁を発表した。 クリントン米国務長官は「イラン政府の監視下で、あるいは命令で、イラン国民は恣意的に逮捕、殴打され、拷問、婦女暴行、脅迫を受け、殺害されてきたにもかかわらずイラン政府はこうした蛮行の中止を求める国際社会の訴えを再三、無視してきた」と語った。 水曜の発表で制裁対象となった8人のイラン人の中には、イスラム革命防衛隊のモハンマドアリー・ジャアファリー司令官や、副官の1人であるホセイン・タエブが含まれており、ジャアファリーはすでに、イランの核開発疑惑に関連して米国の制裁の対象となっていた。米国政府は、革命防衛隊が、ジャアファリー司令官とターエブ副司令官の指揮のもとで2009年の大統領選後の混乱の中、平和的な抗議参加者を殴打、殺害し、無差別に逮捕したと主張している。 その他に制裁の対象となったのはヘイダル・モスレヒー情報相、4人の現、元警察長官・検察官、そして福祉・社会保障相のサーデグ・マフスーリーであった。米国政府の声明では、マフスーリーは2009年のイラン大統領選挙時に内相ポストにあり、全ての警察部隊と内務省治安部隊に対し権限を有していたと指摘されている。 「マフスーリーの部隊は学生が激しく殴打され、拘留された2009年6月15日のテヘラン大学寮に対する襲撃に責任がある」と米財務省・国務省の声明は指摘している。
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