神の域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:04 UTC 版)
1963年7月7日の阪急戦で米田哲也と対戦した際、自分の身体の動きが寸分の狂いも無く認識でき、次はどのコースにどんな球が来るのか手に取るように分かるという奇妙な感覚を体験している。この際に榎本は心身共にかつてない充実感を覚え、投手とのタイミングという概念が無用になるほどの極限の集中力を常に発揮出来たという。8月1日の東映戦で足を捻挫し、以降の7試合を欠場するまでこの状態が続き、アウトになった打球も全てバットの芯で捉えた完璧な当たりだった。後年、榎本はこの時の様子を、「野球の神様から“神の域”に到達する機会を与えていただいたんですよ」、「“神の域”にいかせていただきました」と語っている。 この期間はすべて4番打者としてスタメン出場し、19試合(ダブルヘッダーを4回含む)で打率.411(73打数30安打)を記録した。特に14日以降の11試合の打率は.558(43打数24安打)である。この11試合の間に4安打2試合、3安打2試合、2安打4試合と固め打ちした。榎本はこの期間について、「天国で神様に頭を撫でられ続けた日々だった」とも表現している。 この時の経験は後年に詳細に語っており、「臍下丹田に、自分のバッティングフォームが映るようになったんです。ちょうどタライに張った水に、お月さんがきれいに映る感じ。寸分の狂いもなく、自分の姿が映って、どんなふうに動いているのかまでよくわかった。ボールがバットに当たった瞬間から、バットに乗っていくところもよくわかった」、「すると、どんなボールに対しても、自分の思い通りに打てちゃう。それまでは、タイミングは合った、狂ったと一喜一憂してたけど、この時期は相手とのタイミングがなくなったんですよ。最初からタイミングがないから、タイミングも狂わない。だから、打席で迷うこともなくなったんです」、「本当に夢を見てる状態で周りの動きがスローになった。プロに入ってから、バッティングの事ばかりでテレビを見ても心から笑った事がなかったんですが、初めて心から笑えたですね」と述べている。 また、「それまでは、いくら自然体をつくり、そこへ魂を吹き込んでバッターボックスに立っても、結局『バッティングでいちばん大切なのはタイミングだ』という思いを捨てきれなかったんです。だから、ヒットを打ったり打ち損じたりするたびに、タイミングが合った、狂ったと一喜一憂してた。しかし、臍下丹田に自分のバッティングフォームが映るようになると、ピッチャーとのタイミングがなくなってしまった」、「ピッチャーの投げたボールが、指先から離れた瞬間からはっきりわかる。こっちは余裕を持ってボールを待ち、余裕を持ってジャストミートすることが出来た。だからタイミングなんてなくなっちゃったんです。最初からないから、タイミングが狂わなくなったですね」、「26歳のとき、本筋でいくところまでいかしていただきました。本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールを捉えているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ている状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そのようなところまでいかせていただきました」とも語っている。 1963年シーズンはリーグ2位の打率.318だった。この数字について「数字は悪いかもしれませんが、内容は良かったんです。その頃、ただヒットが打てればいい、タイミングが合ってヒットになればいい、という段階ではどうしても満足できなくなっちゃったんですね」、「納得のいく、1足す1は2というような方程式がピシッと立つようなバッティングが欲しくなって、稽古に稽古を重ねていたら、ある日、無意識のうちにそれができたんです。無心のうちの動きですから、ご飯を食べてるのと同じです。もう、パカーッ、パカーッといくらでも打てました」と語っている。またこの体験中の期間である7月23日のオールスターゲーム第2戦では、1回裏に右翼スタンドにオールスター史上初となる満塁本塁打を放った。榎本は同試合の第3打席でも右翼へのソロ本塁打を放っており、5打点を記録している。 1963年8月1日、守備時に一塁ゴロを捕球して一塁ベースへ駆け込んだ際、左足を捻挫して欠場した。榎本は10日の試合から復帰したが、7月7日から始まった一連の感覚を失っていることに気づいた。この際、榎本は強烈なショックを受け、絶望に打ちひしがれた。その後号泣し、成績も落ちていったという。一時は数字こそ持ち直したものの、球場から家までずっと泣きながら帰ることがしばしばあった。以降、2度と“神の域”の境地には踏み込めなくなり、苦悩の連続でしかなくなったという。また、7月14日から約2週間だけ続いた『本筋の打撃』の状態が消えてしまったことについて、榎本は「壊れた、という感じです」と振り返っている。
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