神の国の実現の時が迫っている
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
「ナザレのイエス」の記事における「神の国の実現の時が迫っている」の解説
イエスの宣教当時も現在も、ユダヤ教においてはメシア(キリスト)はダビデの家から興り、この世で神の僕として「新しい王国」を支配する、と信じられていて、イエスをメシア(キリスト)とみなしていない。これはメシア預言の解釈と関係しており、第2イザヤ書(40~55章)中にみられる「苦難の僕」の姿をメシア(キリスト)預言としていないからである。 福音書においてイエスの王国への言及がみられ、『マタイによる福音書』は、洗礼者ヨハネがヨルダン川近くの荒野において「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣教していたと記している(3章2)。また『マルコによる福音書』は、イエスがヨハネより洗礼を受けたあと「ときは満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と述べたと記している(1章15)。これは世の終末が近づいており、神の最後の審判に備えて人は悔い改めねばならないという教えである。さらにはイエスは教えの中で、世の終末・最後の審判ではイエス自身が地上へ帰還(「キリストの再臨」)し、裁き手となると予告した。 終末論的世界観のもとに生きたイエスは、人々に「悔い改めよ」と宣べた。その目的は「神の国(天の国または天国とは別で教会時代を指す場合もある。)」に入るためであるが、新井智は、「神の国(バシレイア・テウー)」とは、ここにある、あそこにあるというようなものではなく、「あなたたちの間にある」と推測している。
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