社寺参詣曼荼羅の近世とは? わかりやすく解説

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社寺参詣曼荼羅の近世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 22:56 UTC 版)

社寺参詣曼荼羅」の記事における「社寺参詣曼荼羅の近世」の解説

今日遺存する作例のなかで48点の多数占めながら立山曼荼羅白山曼荼羅参詣曼荼羅カテゴリーからしばしば除外されてきた。こうした認識は、立山曼荼羅成立主として18世紀後半以降下り参詣曼荼羅作成主体である本願衰退時期重なるためであった。すなわち、近世社会的安定とともに寺社経済的に安定するにつれ、寺社本来の勢力本願との対立深め本願排斥し始めた歴史関連づけられたものであったそうした本願衰退参詣曼荼羅衰退との関連付けは、那智参詣曼荼羅その背景となる熊野三山本願所モデルとして描き出されてきたものである熊野三山本願所を本寺とする熊野比丘尼による絵解き17世紀半ばごろからは熊野観心十界曼荼羅へと重点移していったと考えられている。具体的な史料欠き仮説として唱えられている段階ではあるが、この時期また、江戸幕府宗教統制社家との対立による本願弛緩崩壊、あるいは寺請制による檀家制度の展開に影響されて、各地での定着化が進んでいった時期でもあると考えられており、それとともに参詣曼荼羅勧進活動参詣勧誘道具から、唱導活動ないしそれ自体崇拝する信仰のための対象として、また時には単に美術品調度品として享受されたこともあっただろう。だが、熊野三山本願所が近代神仏分離まで生き続けたことに見られるように、その動向一様ではなく本願定着した例もある。 ここまで見てきた通り参詣曼荼羅霊場描き観衆参詣勧誘しあるいは案内する絵図である。霊場案内あるいは勧誘通じて勧進募ることは、必ずしも自明絵図寺社外部持ち出されていたことを意味するわけではないが、より広く参詣者を募ることを求めるのであれば外部使用することのほうがいっそうの効果期待できる近世に至るまで遠方霊場赴く経済的身分的条件を持たなかった大多数民衆は、縁起物を読むことや絵解き耳を傾けることが実際に聖地赴くことと同等意義を持つという往時観念とともに参詣曼荼羅享受していたのであろう立山曼荼羅そうした享受連なっている。18世紀初頭以降競って立山曼荼羅作成した立山芦峅寺は、岩峅寺との争論対す裁許結果、廻壇拝活動への依存深め各国への廻に力を注いだ。その形態保管形態便に即して軸装された掛幅形式となっているが、消耗品としての安価な扱いによって作成されていたわけではなかった。立山曼荼羅多数需要支えられ作成され続け各地檀那場で絵解かれた。本願統制力弱まりとともに17世紀末までに宗教的使命終えた那智参詣曼荼羅は「本願盛衰抱きかかえていた絵画であったが、那智参詣曼荼羅多く共通点抱えつつも立山参詣曼荼羅からは、近世以前参詣曼荼羅本質ともいえる遊行漂泊性が失われているのである

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