参詣曼荼羅とは? わかりやすく解説

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参詣曼荼羅

読み方:サンケイマンダラ(sankeimandara)

室町後期から近世宗教画


社寺参詣曼荼羅

(参詣曼荼羅 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 00:53 UTC 版)

社寺参詣曼荼羅(しゃじさんけいまんだら、または寺社参詣曼荼羅〈じしゃさんけいまんだら〉、参詣曼荼羅〈さんけいまんだら〉とも)とは、参詣者の勧誘と霊場案内を目的として霊場神社寺院)を描いた宗教的絵画を指す学術用語[1][2]


  1. ^ 下坂[2003: 449]、大高[2012: 9]
  2. ^ 後述のように、この用語は社寺の二字を冠して確立したが、前近代においては「社寺」よりも「寺社」が一般的があったことを踏まえて「寺社参詣曼荼羅」の語を採る見解(下坂[2003: 423])、あるいは絵画の対象が神社や寺院にとどまらず、霊山・霊場を描くものであることを踏まえて、単に「参詣曼荼羅」とするべきという見解もある(西山[1998: 68-69]、大高[2012: 13])。以下、本項では単に「参詣曼荼羅」とするが、単に記述上の便宜からのものであることを付記する。
  3. ^ a b 徳田[1990: 24-25]。絹本の本数は原文ママ。
  4. ^ a b c 大高[2012: 37]
  5. ^ 大高[2012: 36]
  6. ^ a b c d 福原[1987: 214]
  7. ^ 大高[2012: 39-40]
  8. ^ 大高[2012: 40]
  9. ^ a b 大高[2012: 41]
  10. ^ 大高[2012: 25]、岩鼻 1988。さらに1~3は福原[1987: 214]、4は下坂[2003: 423-437]をそれぞれ参照。
  11. ^ 大高[2012: 33]
  12. ^ 大高[2012: 34]
  13. ^ a b c d 岩鼻 1988
  14. ^ a b 大高[2012: 36]
  15. ^ a b c 大高[2012: 34-35]
  16. ^ 大高[2012: 38]
  17. ^ 西山[1987]
  18. ^ 大高[2012: 46]
  19. ^ 下坂[2003: 431]、太田[2008: 160-161]
  20. ^ 中ノ堂[2012: 第1章]、下坂[2003: 189-190]
  21. ^ 中ノ堂[2012: 18-19、120]。12世紀末の東大寺再興において、公的な官職が名目的なものに過ぎず、東大寺勧進職が再興の実際上の活動を全面的に担っており、これを指して中世的勧進を全面的請負者であったとする(中ノ堂[2012: 18-19])。
  22. ^ a b 下坂[2003: 217]
  23. ^ 下坂[2003: 431]、大高[2012: 12]
  24. ^ 藤沢[1986: 4]
  25. ^ こうした点から、後述のように18世紀から19世紀にかけて作成された作例は、参詣曼荼羅のカテゴリーからしばしば除外されてきた。しかしながら、今日の研究では19世紀まで作例をも含めて研究対象となっている(大高[2012: 48-51])。
  26. ^ 藤沢[1986: 4]
  27. ^ 大高[2012: 44-50]
  28. ^ a b c d 大高[2012: 49]
  29. ^ これら複本は、大多数が紙本著色で作成され、ほぼ同じ構図が踏襲されているものの、描写技法などからいくつかの異なる工房によって作成された系統が存在することが指摘されている。那智参詣曼荼羅の諸作例の系統分類については、根井[2008: 第4章]、西山[1988b]の他、以下の文献を参照。庄司 千賀、1986、「『那智参詣曼陀羅』考序説 - 諸本の整理を中心として」、『芸能文化史』(7, 1996年8月)、芸能文化史研究会
  30. ^ a b c 大高[2012: 51]
  31. ^ 大高[2012: 46、49]
  32. ^ 大高[2012: 39]
  33. ^ 下坂[2003: 452-453]
  34. ^ 岩鼻 1996, p. 127.
  35. ^ a b 下坂[2003: 460-461]
  36. ^ 黒田[1986: 108-110]はジグザグ遠近法と呼ばれる非透視図法的な遠近技法を伴っているとしているが、西山[1988: 111]は遠近法は存在しないと捉えるべきであり、図像中の各部分は同じレベルにあるとしている。
  37. ^ 西山[1990: 60]
  38. ^ 福原[1987: 215]
  39. ^ 西山[1990: 61]
  40. ^ 西山[1990: 70]
  41. ^ 下坂[2003: 460]
  42. ^ 下坂[2003: 452、460]
  43. ^ 大高[2012: 39、48]
  44. ^ 大高[2012: 101]
  45. ^ 下坂[2003: 150]
  46. ^ 下坂[2003: 191]
  47. ^ a b 下坂[2003: 465-467]
  48. ^ a b c 岩鼻 1996, p. 135
  49. ^ 西山克によれば、16世紀中葉の作と推定される清水寺参詣曼荼羅には、制作後に加筆された瑞雲があり、霊場と後背の山を遠ざける作為として意識されていたという(西山[1998: 45-46])。
  50. ^ 岩鼻 1988, p. 131,133.
  51. ^ a b 下坂[2003: 469]
  52. ^ 岩鼻 1988, p. 127.
  53. ^ 下坂[2003: 472-473]
  54. ^ 下坂[2003: 473]
  55. ^ 黒田[1982: 66-67、72-73]
  56. ^ a b c d 岩鼻 1988, p. 136
  57. ^ 下坂[2003: 151]
  58. ^ 黒田[1986: 109]、西山[1988a: 120、123-124]、大高[2012: 38]
  59. ^ 黒田[1986: 123]、西山[1988a: 128]
  60. ^ 西山[1988a: 58-60]
  61. ^ 下坂[2003: 462-464]
  62. ^ 下坂[2003: 464]
  63. ^ a b 西山[1988a: 123]
  64. ^ 西山[1988a: 120、123-124]
  65. ^ 西山[1987: 6-7]
  66. ^ 西山[1987: 13]
  67. ^ 西山[1987: 14-15]
  68. ^ 西山[1987: 16-19]
  69. ^ 西山[1987: 16-17]
  70. ^ 西山[1987: 15-17]
  71. ^ 西山[1988a: 124]、下坂[2003: 470]
  72. ^ 西山[1987: 7]
  73. ^ 下坂[2003: 470-471]
  74. ^ 西山[1988a: 124-126]
  75. ^ 下坂[2003: 471]
  76. ^ 下坂[2003: 472]
  77. ^ 岩鼻 1988, p. 137.
  78. ^ 黒田[1986: 114]。那智参詣曼荼羅の国学院本や西福寺本や武久家本などでは、画面最上部の日輪と月輪の間の樹林にも桜が描かれ、浄土であることが強調されている(黒田[1986: 114]、西山[1988a: 111])。
  79. ^ a b 西山[1988a: 119]
  80. ^ 絹本著色富士曼荼羅図1977年〈昭和52年〉6月11日指定、重要文化財〈絵画〉)、国指定文化財等データベース文化庁) 2014年6月10日閲覧。
  81. ^ 大高[2012: 237、243]。同様に狩野派の影響が指摘される作例として熱田社参詣曼荼羅(徳川美術館本)がある(大高[2012: 40])。
  82. ^ 大高[2012: 34-35、243]
  83. ^ 西山[1990: 61-61]
  84. ^ a b 大高[2012: 35]
  85. ^ 大高[2012: 44]
  86. ^ 大高[2012: 44-45]
  87. ^ 中ノ堂[2012: 18-19、120]
  88. ^ 下坂[2003: 216-217]
  89. ^ a b 大高[2012: 66]
  90. ^ 豊島[2005: 56]、太田[2008: 203]、他にも豊島[1990]など
  91. ^ 大高[2012: 45-46]
  92. ^ 太田[2008: 180-181]
  93. ^ a b 大高[2012: 69]
  94. ^ 根井[2008: 634]、西山[1988a: 130-131]、下坂[2003: 214-215]
  95. ^ 大高[2012: 67、69]、下坂[2003: 214-215]
  96. ^ 大高[2012: 70]
  97. ^ 大高[2012: 216]
  98. ^ a b 大高[2012: 72]
  99. ^ 大高[2012:165]
  100. ^ 大高[2012: 168]
  101. ^ 藤沢[1990: 154]
  102. ^ 藤沢[1990]
  103. ^ 藤沢[1990: 146]
  104. ^ 藤沢[1990: 149-150]
  105. ^ a b 藤沢[1990: 151]
  106. ^ [2008: 第4章]
  107. ^ 西山[1988b]
  108. ^ 根井[2008: 500-507]。ただし根井も指摘するように、根井と西山の系統分類は完全に一致するわけではなく、相違点が伴っている。また、分類に当たっての指標についても一致していない。
  109. ^ 下坂[2003: 474-475]、西山[1988b]
  110. ^ a b 下坂[2003: 476]
  111. ^ 下坂[2003: 477]
  112. ^ 下坂[2003: IV「絵画史料論」第3章]、西山[1988b]。根井[2008: 第4章]をも参照。
  113. ^ 根井[2001: 522]
  114. ^ 武田恒夫、1969、「社寺参詣曼荼羅図とその背景」、京都国立博物館(編)『古絵図』、京都国立博物館
  115. ^ 大高[2012: 74]
  116. ^ 大高[2012: 75]
  117. ^ a b c d e 大高[2012: 52]
  118. ^ a b c 大高[2012: 53]
  119. ^ たとえば大阪市立博物館特別展の解説の著者である福原敏男は、描写の技法や構図などの類似から「参詣曼荼羅と親縁関係をもつ垂迹曼荼羅」(福原[1987: 216])とし、特別展図録にも収録されなかった
  120. ^ a b 福原[1987: 225]
  121. ^ a b 根井[2008: 641]
  122. ^ a b 根井[2008: 648]
  123. ^ 根井[2008: 642]。那智参詣曼荼羅のうち、思文閣目録本やホノルル美術館本は屏風仕立てであり、後者には所蔵者名を示す刻印がある(根井[2008: 654])
  124. ^ 太田[2008: 232]
  125. ^ 大高[2012: 50-51]
  126. ^ 黒田[1986: 126]、福原[1987: 225]
  127. ^ 新城[1982: 102-109]
  128. ^ 黒田[1986: 126]
  129. ^ 根井[2008: 642]
  130. ^ 大高[2012: 38-39]
  131. ^ 大高[2012: 9]
  132. ^ 京都国立博物館[1969]
  133. ^ 難波田[1972]
  134. ^ 大高[2012: 10]
  135. ^ 大阪市立博物館[1987]
  136. ^ 大高[2012: 10-11]
  137. ^ 具体的な著作・論文については大高[2012: 11-12]、西山[1998: 38-39]などを参照。




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