系統分類と工房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 22:56 UTC 版)
三十三所寺院の参詣曼荼羅には様式や人物図像において共通性が見られる。三十三所寺院の作例22点と三十三所以外の寺院の作例22点の様式を調査した藤沢隆子によれば、富士参詣曼荼羅のある作例が際立って小さいことを除くと、作品全体の法量あるいは一紙の法量において、多くの作例は似通った値を示し、一紙については一種の規格と考えられる。また、図中に描かれる図像の比較においても、地物、参詣道や自然物(日月や植物)の描写の有無において、三十三所寺院であるなしを問わず共通性が見られ、参詣曼荼羅に共通の図像と考えられている。人物描写には、参詣曼荼羅として早期の作と推定される作品と、より後期に属する作品とでは描かれる人物像に差異が見られ、描き込まれる人物像の定着にある程度の時間を要したことを示唆している。なかでも三十三所寺院と伊勢・多賀社を含むグループは、描き込まれる人物像から、他とは区別される一つのグループをなしている。 参詣曼荼羅の作成にあたった工房は複数あったと考えられ、特徴的な筆致や描写法によって分類が試みられている。那智参詣曼荼羅の分類を試みた根井浄は、同じく分類を試みた西山克の結果との比較から、闘鶏神社本・岡山武久家本・国学院巻子本・岡山吉田家本等を含む系統と西福寺本・妙心寺旧蔵本・新潟後藤家本・三重大円寺本等を含む系統をそれぞれ析出させ、基本的に一致した分類結果が得られるとの見解を示した。こうした分類は那智のみにとどまるものではなく、伊勢や三十三所の参詣曼荼羅においても、特徴的な筆致や描写法を手がかりに通絵図的にいくつかの工房の存在が推定されている。これらの工房による作成時期は16世紀と見られ、背地を黄土で塗りつぶす手法といった定型を形成した。これらの工房による作例が、西国三十三所の広い範囲にわたって分布し、かつ個々の霊場を熟知していたことから、西国三十三所に霊場を巡礼する絵師集団を想定することも可能だと考えられている。研究者によって異なるものの3から4程度の少数の工房であると考えられており、他にも工房が無かったとは言えないものの、現存する作例からするならばこれら少数の工房の作例が占める割合は高く、定型の確立において主導的な役割を果たしたと言うことができる。 これらの系統分類において那智参詣曼荼羅闘鶏神社本を含む系統は、遅くとも16世紀後半に遡るものと考えられている。闘鶏神社本は、数少ない紀年銘を持つ作例であり、慶長元年(1596年)の修復銘があることで知られている。また、美術史の側からは闘鶏神社本の系統は、法観寺参詣曼荼羅、施福寺参詣曼荼羅、成相寺参詣曼荼羅、道脇寺参詣曼荼羅、善峯寺参詣曼荼羅と共通した手法に基づく一連の類型とする指摘がある。
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