発掘されたクルガンとは? わかりやすく解説

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発掘されたクルガン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 20:27 UTC 版)

クルガン」の記事における「発掘されたクルガン」の解説

クルガン中央アジア西部からヨーロッパにかけて無数にある。そのうちいくつか以下の通り: イパトヴォ=クルガン(Ipatovo kurgan)は、紀元前4000年頃から繁栄していたマイコープ文化(Maikop culture)に始まる墳墓であって上部には紀元前3世紀頃のサルマタイ王女の墓がある。1998年から1999年にかけて発掘調査された。 ロシアサマーラ (Samara) 付近にあるクチュルク (Kutuluk) 4号墳(クルガン)は、紀元前24世紀頃のものである3540歳くらいの身長135cm前後男性遺体葬られていた。この遺体曲げられた左ひじには、長さ65cmくらいのひし形十字分割され銅板着けられていた。銅板先端シャープ加工されていたが尖った鋭利なものではなく、本来は全体が革でくるまれいたものだと思われるヨーロッパ青銅器時代ステップ諸文化でこれに似たもの知られていないが、インドの神インドラ稲妻に比せられるような製品であると考えられてきた。 南ロシアクラスノダール地方のポヌーラ (Ponura) 河畔にあるノボベリヒコフスカヤ=クルガン (Novovelichkovskaya kurgan) は、紀元前2000年ごろのものである抱き合っている2体を含む11体の被葬者確認された。副葬品には、銅製品や彫刻施され石製品宝石、赤いオーカー彩色され土器見られた。この墓は、ノヴォティタロフスカヤ(Novotitarovskaya)文化遊牧民のものであるカザフスタン南部のアルアマタの東方50km位置するイシククルガン (Issyk kurgan) では、女性思われる遺体葬られていることが1996年調査確認された。カザフスタン婚姻用いられる付き帽子状の冠を含めた4000個体もの黄金製品副葬品として確認された。 カザフスタンのバクタルマ (Bukhtarma) 谷にあるベレル (Berel) 墓地11号墳 (クルガン) には、紀元前300年頃の墓が1998年発掘調査された。この墓には、12体の殉葬された馬が皮膚体毛や轡などの馬具、そして完全な形の鞍がつけられた状態で確認された。これらの馬は、盗掘荒らされた二体のスキタイ貴族遺体のある玄室の隣に、白樺樹皮の「ベッド」に隣り合わせ並べて葬られていた。 リャザノフカ=クルガン (Ryzhanovka kurgan) は、ウクライナ首都キエフ南方125kmに位置する高さ10mのクルガンである。スキタイ支配区域である森林ステップの西縁部分支配した紀元前3世紀頃の族長の墓である。紀元前250年頃から同225年頃のスキタイ文化でも後半時期のもので、支配階層徐々に農耕民の生活様式選んでいくようになる時期の墓である。墓のなかにはスキタイ文化では最初ものになる暖炉模造品出土し農耕民の家の暖かさ快適さ象徴するのである1996年発掘調査された。 アレクサンドロヴォ=クルガン (Aleksandrovo kurgan) は、紀元前4世紀頃の トラキア人墳墓である。 ロシア・オレンブルクの西方約100kmの地点位置するフィリポフ・クルガン群は、紀元前4世紀サルマタイ文化クルガン古墳)群である。延長6kmに渡って25基のクルガン点在し最大のものはクルガン群の中央位置する高さ7mの1号クルガンで、1986年以降調査金箔貼った鹿型木製品をはじめ多数黄金製品出土した。 コストロムスカヤ (Kostromskaya) は、南ロシアクバン川流域でも古いクルガンのひとつで、時期紀元前7~6世紀頃に比定されている。径9M、高さ2.5mの墳丘をもち、墓室囲んで4本の建てられ、そのには4本の横木組み合わされピラミッド状に屋根木を組んでいる。22体の馬は、「井」の字に組まれ横木と同じ深さ埋葬され横木に対して4頭ずつ垂直方向に頭を外側向けて埋葬されていた。また横木内側には、鉄製の盾と矛、轡、土器片などが確認された。また、盗掘受けていたが、副葬品には、31.7cm×19.0cmの鹿を浮き彫りにした黄金製の飾り板など金銀宝石武器武具多く発見された。1897年に N.I.ヴェセロフスキーによって発掘調査されている。 パジリク (Pazyryk) 古墳群 トルスタヤ=モギーラ (Tolstiya Mogily) は、ウクライナ南部ドニプロペトロウシクから南西120km、ドニエプル川下流都市ザポリージャニコポリ付近に密集して分布するニコポリ古墳群属し、オルジェニキッゼ市に所在する紀元前4世紀クルガンである。これはスキタイ貴族の墓で、クルガンを巡る周溝からは、葬儀のさいに行なわれ宴会供されたと思われる多量動物の骨と酒器として使用され土器出土した。このクルガンは、遺体別室から黄金製の直径30cmの三日月形をした胸飾り出土したことで知られている。この胸飾りは、同心円状三つ区分され外側部分には、馬を襲うグリフォンなどスキタイ風の彫刻がなされ、中央部分には、植物図案化した文様内側部分には、母馬子馬に、母牛が子牛に乳を与えたり、人が羊の乳を搾っている場面見られる

※この「発掘されたクルガン」の解説は、「クルガン」の解説の一部です。
「発掘されたクルガン」を含む「クルガン」の記事については、「クルガン」の概要を参照ください。

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