発掘とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/06 15:07 UTC 版)
ゴゾ島の住民や旅行者は古くからこの神殿の存在を知っていた。発掘調査が行われる以前の18世紀後半、Jean-Pierre Hoüel は現地人の話に基づいてかなり正確な平面図を描いている。1827年、ゴゾ島の州副知事 John Otto Bayer はこの遺跡の瓦礫を撤去させた。なお、このとき撤去したものについては適切な調査が行われていない。幸運にも瓦礫撤去の1、2年前にドイツ人画家 Brochtorff がこの遺跡の絵を描いており、撤去前の唯一の記録となっている。 この土地は私有地だったが、1933年に政府が公益のために収用した。1933年、1936年、1949年、1956-57年、1958-59年に考古学的調査が行われた。 1980年、ジュガンティーヤ神殿は世界遺産に登録された。1992年、マルタの5つの巨石神殿もそれに加えることが決まった。そのため登録名称が「マルタの巨石神殿群 (The Megalithic Temples of Malta)」に変更された。
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