発掘と現況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 15:47 UTC 版)
1949年(昭和24年)に伊東信雄が観察したときには、畑の中の杉林の中にあって視界がきかなかった。そのため伊東は前方部を見て取れず、径20メートルほどの円墳と考えた。後円部の頂には石祠があり、円筒埴輪の破片があった。 その後、1972年(昭和47年)の仙台市教育委員会による文化財確認調査までに、周囲は宅地に変貌し、杉の木も切り払われていた。調査に訪れた岩渕康治は前方後円墳ではないかと考えた。このとき、古墳の南4分の1は宅地のため削られており、増築のため残りを削り取る工事にとりかかる直前であった。工事を中止し、古墳の形を確認するために同年12月20日から27日まで第1次の発掘調査が実施された。これにより長さ40メートル以上の前方後円墳であることが確かめられ、続いて翌年6月30日から8月3日まで、第2次の発掘調査を行なった。調査後、8月23日から25日にかけて古墳は削平、破壊された。
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