甲州文庫とは? わかりやすく解説

甲州文庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 21:25 UTC 版)

山梨県立図書館」の記事における「甲州文庫」の解説

山梨県立図書館戦前から山梨県に関する多く郷土資料受け入れており、「甲州文庫」として集成されている。 山梨県では明治後期から大正期にかけて郷土への関心高まり県内政治家実業家の間では郷土史探求趣味とするものも現れた。中でも甲州財閥中核として山梨県内政財界において影響力持っていた若尾家三代目若尾謹之助1915年大正4年)に民間修史事業として『山梨県志』の編纂事業着手した「山梨県志」の編纂事業では県内旧家寺社所蔵文書県庁所蔵行政文書古記録などを調査し史料集成されていた(後の「若尾資料」)。 「山梨県志」は刊行寸前まで進んだが、1923年大正12年)の関東大震災影響と、昭和期若尾家没落中座する。「山梨県志」には県内多く郷土史家参加するが、1919年大正8年)には中巨摩郡豊村南アルプス市上今井、旧同郡櫛形町出身蚕糸業者である功刀亀内が「山梨県志編纂委員土屋夏堂と知り合い功刀は「若尾資料」を引き継いで整理行い、さらに県内関東地方において独自に山梨県郷土史に関する資料収集行っている。 若尾資料東京功刀邸に置かれていたが、戦時下には山梨移される戦後1948年昭和23年)には、甲府古書店営んでいた郷土史家萩原頼平収集した庶民資料中心とする「頼生文庫」が山梨県立図書館受け入れられる。さらに1951年昭和26年)には功刀亀内所蔵する若尾資料受け入れ正式に「甲州文庫」となる。さらに翌昭和27年には山梨県庁保管されていた江戸時代検地帳村明細帳明治以降戸籍や行文書新聞や雑誌類の資料移管され、上野晴朗担当職員配置された。 甲州文庫は近世近現代中心とする文献や行文書中心とするが、古記録から民具などの民俗資料や生活資料などに至る幅広い資料含まれている。『甲陽軍鑑』や甲州文庫本『甲斐国志』の写本甲斐国絵図類をはじめ、果樹栽培養蚕郡内織など甲斐国産業史関わる資料や、歌舞伎など遊芸文化に関する錦絵番付などの文化資料明治期の『峡中新聞』などの新聞資料のほか江戸期甲州枡甲州金現物などがある。また、甲州文庫には「甲州文庫」と記され扁額現存している。これは昭和5年1930年7月年記記され木彫扁額で、中村不折の筆による。 現在は山梨県立博物館移管されている。 山梨県立博物館では「甲州文庫」を含めた収蔵資料20万点デジタル化され、館内利用者端末とマイクロフィルムリーダーでマイクロフィルムデジタル史料公開行っている。マイクロフィルムに関して現在の山梨県立図書館でも公開行っている。ただし、これらのサービス山梨県立博物館館内のみの利用が可能で、インターネットによる公開実現していない。

※この「甲州文庫」の解説は、「山梨県立図書館」の解説の一部です。
「甲州文庫」を含む「山梨県立図書館」の記事については、「山梨県立図書館」の概要を参照ください。

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