灯籠仏の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:18 UTC 版)
甲斐善光寺には「燈籠仏(とうろうぶつ)」と呼ばれる仏像が伝来している。これは像高5センチメートル(一寸八分)ほどの一光三尊阿弥陀如来像で、普段は燈籠に収められ、秘仏として扱われている。江戸時代に甲斐善光寺で発行された縁起に拠れば、願い事を占う際に用いられる仏像で、甲斐善光寺発行・年未詳の一枚刷り「善光寺燈籠仏縁起」(山梨県立博物館所蔵「甲州文庫」)、享保7年(1722年)の写本「甲陽善光寺略縁起 附 灯篭仏略縁起」(「甲州文庫」)に拠れば、願い事が叶うなら重くなってください」と念じて持ち上げると、願い事が叶う場合には重くなり、叶わない場合は軽くなるという。 燈籠仏の存在は宝永3年(1706年)の荻生徂徠『峡中紀行』に記され、甲府藩主・柳沢氏家臣であった荻生徂徠は宝永2年(1705年)9月14日に田中省吾とともに甲斐善光寺を訪れ、燈籠仏を実見したという。宝暦2年(1752年)の甲府勤番士・野田成方『裏見寒話』においても触れられ、燈籠仏の拝見には金銭を徴収していたと記されている。 ほか、天明年間の加賀美遠清『甲陽随筆』、文化11年(1814年)の『甲斐国志』、嘉永3年(1850年)の宮本定市『甲斐之手振』などの随筆・地誌類にも存在が記されている。幕末には嘉永年間の大森快庵『甲斐叢記』(出版は1893年(明治28年))において触れられている。
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