灯籠の設置と責任の曖昧化(1955-1977)
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1955年(昭和30年)3月5日、外宮と内宮および内宮の別宮である伊雑宮を結ぶ道路に石灯籠を設置することを目的とした「伊勢三宮奉賛献燈会」(以下、献燈会とする)が設立され、日本全国から献灯者を募集した。献灯者には歴代内閣総理大臣や財界の有力者も名乗りを上げた。同年12月1日には献燈会が三重県知事と伊勢市長に対して道路占用許可を申請し、灯籠が設置された。灯籠には、吉田茂や池田勇人ら献灯者の名が刻まれた。その後、献燈会は1960年(昭和35年)4月1日に占用許可の更新を県知事に申請したが、未処理のまま時が流れ、1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)にかけて献燈会関係者が死去し、事実上献燈会は解散状態となった。 献燈会解散後の1968年(昭和43年)頃、「伊勢神宮献灯籠保存会」(以下、保存会とする)が設立され、1975年(昭和50年)11月18日、国道23号拡幅のために灯籠を移設することになり、保存会は伊勢市長に豊川浦田線交通広場(宇治浦田街路広場)の一部使用許可を申請した。
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