甲州征伐と天正壬午の乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 00:07 UTC 版)
天正10年(1582年)武田氏滅亡後、政成は父の玄東斎と共に徳川家康に従ったと推測される。天正壬午の乱が起こり、小田原北条氏が信濃国、甲斐国、駿河国に侵攻してくると、同じく徳川麾下となった岡部正綱・曽根昌世に属して小田原北条軍と交戦し、後には蘆田信蕃に属して信濃国にも転戦して武功を上げた。以後は徳川家康に仕え、甲斐国南竹居・駿河国厚原の本領を安堵された。
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