荒川の川漁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:14 UTC 版)
江戸時代には甲斐国の名産として鮎が知られ、宝暦2年(1752年)の『裏見寒話』や嘉永3年(1850年)の『甲斐廼手振』では笛吹川・釜無川とともに荒川の鮎が名産として記されている。 江戸後期(19世紀)の「甲斐名所寿古六」(「甲州文庫」)では甲斐の名所・産物のとして「忘川 船」が記され、忘川における鵜飼の様子が描かれている。甲斐国における鵜飼は笛吹川における石和鵜飼や、幕末期の制作と考えられている『甲州道中図屏風』における桂川の鵜飼が知られる。石和鵜飼や桂川の鵜飼は漁師が直接川へ入り鵜飼を行う「徒歩鵜飼」と呼ばれる類例の少ない事例であるのに対し、「甲斐名所寿古六」には「忘川」の鵜飼が描かれ、日本各地の鵜飼に一般的な漁師が船へ乗り込み鵜飼を行う「船鵜飼」として描かれている。
※この「荒川の川漁」の解説は、「荒川 (山梨県)」の解説の一部です。
「荒川の川漁」を含む「荒川 (山梨県)」の記事については、「荒川 (山梨県)」の概要を参照ください。
- 荒川の川漁のページへのリンク