「山梨県志」の影響
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実業家の功刀亀内(1889年 - 1918年)は山梨県志編纂事業の影響を受けて編纂委員の土屋夏堂と知り合い、山梨県郷土史に関する史料を幅広く蒐集した。これらは「甲州文庫」として同じく県立図書館を経て県立博物館に収蔵されている。草稿の一部も現存している。 また、山梨県志の編纂事業を受けて1920年(大正9年)からは山梨県による「史跡名勝天然記念物」調査が実施され、広瀬、土屋、赤岡ら「山梨県志」の編纂委員が参加し、『山梨県史跡名勝天然記念物調査報告』を第八輯(しゅう)まで刊行している。さらに、「山梨県志」編纂委員の人脈により1930年(昭和5年)9月には「甲斐郷土研究学会」が設立され、翌1931年まで会誌『甲斐』を刊行した。 戦後には山梨県内の自治体史編纂が活発に行われるが、1990年(平成2年)には「山梨県志」以来の大規模な修史事業となる『山梨県史』の編纂が開始された。山梨県史の編纂は2007年(平成19年)に終了した。
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