「山猫」の出版
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「ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ」の記事における「「山猫」の出版」の解説
彼は詩人となったルーチョ・ピッコロをしばしば訪ね、1954年にはピッコロが招待された文学会議を補佐するためにサン・ペッレグリーノ・テルメを訪れた。そこでエウジェーニオ・モンターレとMaria Bellonciを知る。この帰り道で「山猫」を書き始めていると語り、2年後の1956年に完成した。だが当初この作品出版は、出版社から拒絶された。 1957年に肺癌と診断され、同年、「山猫」の主人公である彼の祖先のローマの家で死去。ローマの教会で葬儀を挙げ、パレルモのカプチン・フランシスコ修道会墓地に葬られた。「山猫」はエレナ・クローチェがジョルジオ・バッサーニに送り、バッサーニがフェルトリネリ出版社に持ち込み、エイナウディ出版社の代表だったエリオ・ヴィットリーニは、これをイタリア文学の最高傑作と述べたのを受け、1958年に出版された。この作品は熱狂的な支持を受け、1959年にストレーガ賞を受賞。数年で各国語に訳され、世界的なベストセラーとなった。 1980年代に書評紙Tuttolibriで、この100年で出版された最も好きな小説のアンケートを行った時、「山猫」が1位となった[要出典]。小惑星14846 Lampedusaはランペドゥーサにちなんで命名されている。彼の人生の最後の期間については、Roberto Andòの映画「Il manoscritto del Principe」(2000年)の中でも言及されている。
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