「山形の首領」への反論
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『朝日ジャーナル』が、1985年(昭和60年)7月19日号から、3回にわたって「AJ人国記 山形の首領」と題し、服部敬雄と山形新聞・山形交通グループに対する批判記事を掲載した。これを受け同誌8月9日号において当時、常務取締役編集局長であった相馬が、「山形の首領への反論」を寄稿。同誌に全文が掲載されている。 以下はその要旨。 山形新聞・山形交通グループが、花笠まつりを私物化し、カネ儲けのためにやっているかの印象を記事より受けるが、取材不足ではなかろうか。山新グループは、花笠まつりのために多額の経費を負担したうえ、労力も提供している。花笠の夏は本当に憂鬱なのか。まつりの期間中お出になり、幅広く関係者の声を聞いて頂きたい 。山形美術館は、服部敬雄館長の「戦後の荒廃した人心にうるおいを」の発案により、1963年(昭和38年)設立し翌年開館した。すでに開館以来20年が経過し、老朽化したため1984年(昭和59年)より新館建設に着手した。これに対しては、山形県や山形市当局も、新館建設に賛同した上で補助金の支出を決定している。 蔵王県境事件は、記事において「ひと口で言えば、県境が動いたのである。」としているが、山形地検の捜査段階から事件を担当した記者として結論を申し上げると、「県境は、動かなかった」というより、「動かされなかった」と思っている。 何をどのような視点で取り上げようとも、またどのように批判しようとも貴誌の責任において行うことは自由ですが、一方に偏した取材にならないようご配慮いただきたい。
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