田峯小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 21:07 UTC 版)
.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 明治期に学校が置かれていた日光寺 明治大正期に学校が置かれていた田峯観音(高勝寺) 1873年(明治6年)11月19日、北設楽郡段嶺村の日光寺に第15番小学田峯学校として開校した。なお、『北設百年の教育』は田峯学校の開校が1873年10月であるとしている。1875年(明治8年)には日光寺が火災にあったため、白鳥神社に移っている。1882年(明治15年)には北設楽郡第二学区公立小学田峯学校に改称した。同年4月には三津橋津島神社に田峯学校分教場(後の設楽町立三津橋小学校、1997年3月に廃校となって三都橋交流センターに)を設置したが、1886年(明治19年)12月には分教場が廃止されている。 1891年(明治24年)には田峯観音(高勝寺)の境内に校舎を新築。同年には再び三津橋に田峯尋常小学校分教場が設置されている。1892年(明治25年)4月には豊邦尋常小学校が田峯尋常小学校分教場となった。1902年(明治35年)4月には三津橋の分教場が独立して三津橋尋常小学校となり、豊邦の分教場が独立して豊邦尋常小学校(後の設楽町立豊邦小学校、1997年3月に廃校)となった。1907年(明治40年)4月には高等科が設置され、田峯尋常高等小学校に改称した。1908年(明治41年)9月には段戸西川に分教場が設置された。1926年(大正15年)3月には火災で校舎が全焼し、日光寺に仮校舎を置いた。 1927年(昭和2年)12月には現在地に現在の校舎が竣工。なお、『北設百年の教育』は現在の校舎の再建が1927年4月であるとしている。桁行65mの平屋建であり、一文字型の片廊下式校舎である。時を同じくしてアメリカ合衆国から日米親善大使の青い目の人形「グレース」が寄贈され、「グレース」は同校のマスコットとなっている。 1934年(昭和9年)4月には裏谷分教場が設置された。1943年(昭和18年)には西川分教場が一時的に閉鎖された。1947年(昭和22年)には田峯小学校の一部を使用して段嶺村立段嶺中学校を併置している。1947年度(昭和22年度)の児童数は156人。1951年(昭和26年)には校歌を制定した。 1956年(昭和31年)9月30日には田口町・段嶺村・名倉村・振草村(の一部)の1町3村が合併して設楽町が成立し、設楽町立田峯小学校に改称した。1957年度(昭和32年度)の児童数は132人。1967年度(昭和42年度)の児童数は65人。1973年(昭和48年)には創立百年記念式典を開催している。1977年度(昭和52年度)の児童数は23人。1987年度(昭和62年度)の児童数は17人。 1989年(平成元年度)にはアメリカ合衆国・オハイオ州デイトン市のラスキン小学校と姉妹校提携を結び、以後は児童の相互訪問、作品や手紙の交換などを継続している。1996年(平成8年度)には愛知県国際交流功労賞を受賞した。1997年度の児童数は9人。2001年(平成13年)には設楽町立清嶺中学校など設楽町内の3中学校が統合され、旧・段嶺村域から中学校がなくなった。 2010年(平成22年)から行われた木造校舎の耐震工事は2011年(平成23年)に完了。2012年度(平成24年度)には日本建築防災協会が主催する平成24年度耐震改修優秀建築賞理事長賞を受賞した。耐震工事は2013年度(平成25年度)の第21回愛知まちなみ建築賞としても評価されている。2014年(平成26年)4月25日には「設楽町立田峯小学校普通教室棟」「設楽町立田峯小学校特別教室棟」がそれぞれ国の登録有形文化財に登録された。設楽町では初の登録有形文化財である。 ラスキン小学校やウィンザー小学校との日米文化交流などが評価され、2008年(平成20年)には中日新聞社による中日教育賞を受賞した。3年に一度の訪米事業は2014年の第9回で終了している。
※この「田峯小学校」の解説は、「設楽町立田峯小学校」の解説の一部です。
「田峯小学校」を含む「設楽町立田峯小学校」の記事については、「設楽町立田峯小学校」の概要を参照ください。
- 田峯小学校のページへのリンク