物語の漏洩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 09:44 UTC 版)
教会は物語の秘密を守ろうと努力したのだが、詳細は何年にもわたって漏洩してきた。OT III はロバート・カウフマンの1972年出版の著書『サイエントロジーの内部(原題:Inside Scientology)』で初めて明らかになった。カウフマンはその本の中で彼自身のOT III の経験を詳細に語っている。 この本は後にクリアウォーター・サン誌の記事で詳しく取り上げられ、ローレンス・ウォランシェイムによって1985年に協会に対して起こされた訴訟によって、大変な市民の評判を得た。教会は文章を封印するのに失敗し、訴訟をいつも読者に調査させておくように試みたが、物語はロサンゼルス・タイムズ誌に要約され、ウォレンシェイムの裁判で提示された情報を基にしたウィリアム・パウンドストーンの著作『大いなる秘密(原題:Bigger Secrets)』によって詳述された。ウォレンシェイムの訴訟で提供された情報を元にウィリアム・パウンドストーンに『大いなる秘密』という本に詳細に書かれた。1987年、不満を抱く信者による新たな本、『L・ロン・ハバード: 救世主か、狂人か?(L. Ron Hubbard: Messiah or Madman?)』はOT III の最初のページを引用し、残りの内容を要約した。 それ以来、報道機関はトム・クルーズなどの著名人を報じる際、折に触れてジヌーについて言及し続けてきた。1987年、BBCの調査報道シリーズのPanoramaは「完全な自由への道?」と題して、OT III の物語をアニメ形式で放送した。 1994年12月24日、ジヌーの物語はネットニュースのニュースグループ、alt.religion.scientologyにメール匿名転送システムを通じて投稿された。これにより、サイエントロジー弁護団と中傷者との間に闘争が起こった。サイエントロジー・インターナショナル対フィッシュマン、ギアツの一環として、古いバージョンのOT レベル I から VII が1993年4月9日、スティーブン・フィッシュマンの宣言に寄せられる展示物という形で公開された。この宣言とその展示物は、トータルでフィッシュマン宣誓として知られているが、1995年8月インターネットのニュースグループ alt.religion.scientology にアーニィ・レルマによって投稿され、デイヴィッド・S・トーレッキーによってWorld Wide Web に載せられた。これは何年かの間大きな論争と法廷闘争の題材だった。特にレルマの家(大量の文章のコピーにつながった)における著作権侵害と、オランダ人ライターのカーリン・スパインクに対する訴訟も話題となった――教会は元の文章の複製に基づく著作権侵害に対して訴え、また問題を繰り返し述べることは企業秘密の開示になってしまうと主張した。 教会のジヌーを機密にしておこうという企てはそれに反対する裁判の事実認定に引用された。2003年9月、オランダの法廷は、カリン・スペインクに対する裁判で、OT II とOT III を機密にしている目的は、教会の信者を支配するための力を持つことと、教会の教えと実践を議論することを妨げるためであるとした。 ハバードは、そのあまりに早いOT III の暴露は死をもたらすと主張したが、彼は1970年代に映画脚本版の『星々の反乱』を書いていた。この脚本ではジヌーはチィという名前の"銀河警察庁"長官と、チュという名前の"惑星間銀行頭取"に手助けされていたことを明らかにしているこれは公にはされなかったが、脚本の流れは1980年代初めにハリウッド周辺に出回っていた。現在、非公式の脚本はインターネットで出回っている。 2001年3月10日、あるユーザーがオンラインコミュニティのスラッシュドットにOT III のテキストを投稿した。そのサイトの所有者は、サイエントロジー教会がデジタルミレニアム著作権法の基で法的な脅しを掛けた後に、コメントを書きとめた。サイエントロジー教会の批判者たちは、ジヌーの秘密を広めることで、公な抗議活動を行ってきた。このことには、"xenu"というドメイン名のウェブサイトを作成したり、ジヌーの名前を載せたバナーを表示したり、。抗議の印を表示することも含まれる。
※この「物語の漏洩」の解説は、「ジヌー」の解説の一部です。
「物語の漏洩」を含む「ジヌー」の記事については、「ジヌー」の概要を参照ください。
- 物語の漏洩のページへのリンク