漫画とオタク向け産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:56 UTC 版)
中条省平は現在BLと呼ばれるジャンルの一番の源流として、父と息子の近親相姦を扱った竹宮惠子の『風と木の詩』を挙げる。竹宮惠子自身は父と息子の近親相姦を描いたりした『風と木の詩』について、そもそも連載開始を実現するまでが大変だったので、連載開始後に何と悪口が立とうと動じなかったと回想している。内田春菊の『物陰に足拍子』では、仲の悪い兄嫁に兄との近親相姦を疑われる女性が登場するが、この作品は後の『ファザーファッカー』などの自伝的小説に先行した作品であり個人的な題材を取り入れていると中条省平は指摘している。 幾原邦彦はフィクションの世界で兄妹の関係にセクシュアリティが表現されることが多い理由は「血縁の関係は永遠だ」というイリュージョンがあるからだと分析し、そのことを「永遠の恋人の夢」と表現した。仙石寛子は「私にとってNLは微笑ましい(見守る)もの、BLはむらむらする(ひーってうずくまる)もの、GLはにこにこする(拍手で祝福)もの」と解釈し、「姉弟または双子はNL、BL、GLのすべてのときめきを満たしている気もする」と述べている。藤本由香里は、少女漫画における近親相姦というテーマの関心の高さについて、「自分の生まれる前まで遡って自分のルーツを肌で実感したい」という欲求に根差しているのではないかとした。高橋裕子は、少女漫画の近親相姦的兄妹愛は、他者に投影された自己への愛、他から孤立した同族間の愛として理解し得ると分析している。 宇野常寛は、アムロ・レイとシャア・アズナブルが母への拘りを口にしながら死ぬ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』において富野由悠季が表現した思想を「母性のディストピア」と呼んだ。宇野常寛の言う「母性のディストピア」とは、妻を母と同一視する母子相姦的構造のことを指す。この『逆襲のシャア』へのアンサーとして製作されたのが庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』なのであるが、宇野常寛は綾波レイと碇ユイが同一視される『新世紀エヴァンゲリオン』は母子相姦的モチーフは取り入れてはいるが、『逆襲のシャア』にあった母性の毒々しさはなくなってしまっていると指摘した。宮台真司は『シン・ゴジラ』についての評論で、庵野秀明の作品によく見られるのはオイディプス構造だと指摘した。宇野常寛は宮台真司のこの分析を吉本隆明流に読み替えると、政治と文学の再接続のためには夫婦/親子的な対幻想からの脱出が必要とされているのだと主張した。その点、宇野常寛は「日常系」と呼ばれる萌え四コマ漫画において夫婦/親子的な対幻想が排除され、同姓同士の友情に基づく対幻想が強調されている点を評価する。宇野常寛はこの「日常系」の例として『らき☆すた』や『けいおん!』といった京都アニメーションが関係した作品を挙げる。ただ、宇野常寛はこの「日常系」の流れから生まれた山田尚子が監督を務めた『聲の形』については、結局は「母性のディストピア」の構造に緩く絡めとられてしまった作品だとしており、このように無自覚に「母性のディストピア」の構造を反復じているという点では、同じ2016年公開の新海誠が監督を務めた『君の名は。』も同様であると指摘した。 本田透は、空想上の妹が萌えの対象となるという概念が流行したことがあり、漫画作品では吉田基已の『恋風』のように兄と妹が恋愛をすることについてより現実社会に近づけて描く作品も出現したが、結局この概念が衰退してしまったのはインセスト・タブーのある現実に影響を及ぼすような概念ではなかったからではないかと推測している。本田透は、義理の兄と妹の恋愛を扱った1980年代のあだち充の『みゆき』と異なり、1990年代発祥の『シスター・プリンセス』は兄と妹を扱っているといってもそもそも男女関係を扱った作品ではないし、『シスター・プリンセス』の小説版は妹視点で描かれていることから、自らの内面に潜む女性性すなわちアニマへの欲求が高まっているのではないかと論じ、この傾向は擬似姉妹の姿を描いた今野緒雪の『マリア様がみてる』ではより鮮明に表れていると主張している。 日垣隆によれば、萌えが話題になっていたころ、子供がいない今は軽い気持ちで扱っているが、将来父親になったときどうすればいいのかと危惧する声が業界関係者から上がっていたという。山脇由貴子は、姉妹に実際に恋愛感情を抱いている人もいるが、この現象は兄弟姉妹間の恋愛を扱った漫画や映画が流行したことが背景にあると主張する。槇村さとるは父親に性的虐待を受けた記憶に向かい合いながら作品を生み出していったことを『イマジン・ノート』に記している。橘ジュンは『透明なゆりかご』の作者である沖田×華をタブーにひるまず凄い作品を描くと評価するが、沖田×華本人は設定は多少変えているんだけれども義理の父親による実際の性虐待を描くのは大変だったと述べている。ちなみに沖田×華自身も酔っ払った父親に体を触られることはあったというが、酒のせいで父親はそのことを覚えていないと述べている。 畑健二郎は自らの作品である『ハヤテのごとく!』について、もともとは綾崎マリアとその異母弟のハヤテの恋愛を描くつもりで始めたのだが、連載が続いたため姉弟という設定自体がなくなってしまった作品なのだと述べている。井中だちまは自らの作品である『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』について、この作品におけるメインヒロインである母親は一方的に愛を与える存在のため、母親なんか嫁にできないという一般的な読者にも受け入れやすくしたつもりなのだが、それでもライトノベルにおけるヒロインは愛される存在を目標とするという固定観念があるせいか、担当からはかなり先鋭的な作品との評価をもらったという。
※この「漫画とオタク向け産業」の解説は、「近親相姦」の解説の一部です。
「漫画とオタク向け産業」を含む「近親相姦」の記事については、「近親相姦」の概要を参照ください。
- 漫画とオタク向け産業のページへのリンク