清の行政区画
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嘉慶二十五年(1820年)の行政区画 光緒三十四年(1908年)の行政区画 清は各地の支配者の臣従を受け同君連合となり、その領土は広い上、各地域の差も大きく、多数の民族を含み、その間柄も良好とは言えなかったため、行政の区割りは画一的な物でなく「因時順地、変通斟酌」として行われた。 中心となった満洲人には中央ユーラシア的な「姓長制」である八旗制が維持された。各旗人は皇帝の上三旗と皇族である各旗王が分封された下五旗に所属し、北京の内城は旗人(北京八旗)の街とされ、各旗ごとに区画が割り当てられ、さらに満洲→蒙古→漢軍の順で宮城の外側に居住区が設けられた。また要地の警備のために駐防八旗が駐屯した。1645年に西安・南京からはじめて他の主要都市を部分的に占拠していった。合計18カ所の「満城」が各省に設立され、1700年までにそのうち12カ所で、最終的には全ての「満城」において、北京のように旗人のための隔離居住の原則が認められた。駐防地に送られた兵士はその家族をすべて連れていき、現地の漢人から隔離された城壁のなかに住む場所を割り当てられた。 畿輔駐防は、直隷駐防とも称され、乾隆帝後期、良郷、昌平、水平、保定等25ヶ所に8000人が駐屯した。東三省駐防は、盛京、吉林、黒龍江駐防に分かれる。盛京駐防は、盛京将軍が統括し、盛京、遼陽、開原等40ヶ所に1万6000人が駐屯した。吉林駐防は、吉林将軍が統括し、兵力は9000人だった。黒龍江駐防の八旗兵とソロン(索倫)兵7000人は、黒龍江将軍が統括した。 各省駐防は、山東、山西、河南、江蘇、浙江、四川、福建、広東、湖北、陝西、甘粛等11省の20都市に駐屯し、乾隆帝後期、計4万5000人に達した。各省駐防は、各都市に設けられた将軍又は副都統が管轄し、各省駐防の兵数は300 - 3000人程度だった。 新疆駐防は、西域兵とも称され、ジュンガル部、ウイグル部の征服後に設置された。兵数は1万5000人で、イリ将軍が統括した。 皇帝直轄領であり漢人の多い旧明領は明の制度を引き継ぎ、「省—府—県」の三段階からなる制度が敷かれた。旧明領の漢人以外の民族には有力者に土司の地位を与え統治させた。藩部(中国語版)では現地の事情を踏まえると共に中央集権の強化も図られた。 臣下としたモンゴルでは旗盟制を整備し、モンゴル王侯にジャサク(札薩克)の地位を与えて遊牧地を与えた。保護国であるチベットではダライ・ラマのガンデンポタンの自治により地方行政単位として、規模により大中小の3等級に分類されるゾン(rdzong)(清代の営、民国の県に相当)を設置、さらにその下方単位として国家直属・貴族領・寺院領の三種からなるシカ(gzhis ka)を置いた。 新疆ではイリ将軍の配下に、イリ・タルバガタイ・カシュガルに駐屯する3名の参賛大臣が置かれ、ウルムチには、ウルムチ都統が置かれた。これらの下には、弁事大臣・領隊大臣等の役職が設けられ、それぞれ各オアシス都市の統治を行った。各地方の末端行政は現地人有力者に委ねられ、早くから清朝に服属したハミやトゥルファンの支配者らにはジャサク制が適用され、爵位が与えられモンゴル人貴族と同様の特権が付与された。またタリム盆地の各オアシス都市の支配者に対しても清朝の官職が与えられ、自治を行わせるベグ官人制が行われ、在地の社会構造がそのまま温存された。 全国は内地十八省と、駐防将軍(中国語版)の5管区、駐箚大臣(中国語版)の2管区とあわせて25の行政区画と、内モンゴルなどの旗・盟に分けられ、それぞれの地域の接触を厳しく制限した。それぞれの地域を監督し、正式に行き来出来たのは八旗官僚のみであり、科挙の上位合格者を除き漢人科挙官僚は旧明領の統治にのみ用いられた。満洲語は各地に派遣された八旗官僚と中央との連絡に用いられた。 清の末期、列強の進出や漢人の藩部への流出が強まる情勢下で、各地の旧行政制度では有効な統治を行えなくなってきた。そのため、この頃には清朝は「満洲人とモンゴル人の同盟が漢人を支配し、チベットとイスラムを保護する」という体制から皇族と漢人有力者や知識人とによる「満漢連合政権」となっており、漢人有力者などにより光緒年間には新疆・奉天・吉林・黒竜江が相次いで省となり、内地と同様の行政制度を敷き中央集権化が図られた。光緒三十四年(1908年)には清は22省と、チベット・外モンゴル・内モンゴル・青海などの地方となった。モンゴルとチベットも省にする案があったがモンゴルは独立し、チベットは支配強化のため侵攻中に辛亥革命が勃発し、清が崩壊したため実行されなかった。
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