清の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 19:42 UTC 版)
清を建国した民族は、黒竜江下降にいたツングース系の黒水靺鞨(まっかつ)族の子孫である。靺鞨は7大部に分かれており、黒水靺鞨はもっとも強健と言われていた。彼らは契丹帝国時代に南下し、ジェシン(女真人、女直人)と呼ばれるようになった。明代になると、彼らは明に朝貢した。朝貢品は馬が多かったが、15世紀半ばから女真人から明国への朝貢・輸出品に、貂の毛皮が占める割合が増えていった。明の宮廷では貂の毛皮が毎年一万張も消費され、下層社会にも普及していった。また朝鮮でも15世紀後半から貂の毛皮の流行が始まった。黒貂は黒竜江流域やシベリアのタイガでしか獲れなかったため、女真人は交易ルートの各所で活躍し、富や力、武器をも貯えていった。 明国から見た女真人は3種類に分けられた。朝鮮東北の境から吉林省東部にかけて居留する女真人は建州女直、松花江の女真人は海西女直、その他の女真人は野人女直と呼ばれた。清を立てたヌルハチは建州女直の末裔である。清の2代目皇帝ホンタイジは、1635年に民族名をマンジュ(満洲、満州)と改名した。1636年に大清帝国が成立したが、明やその朝貢国との戦いは続いた。
※この「清の状況」の解説は、「清露国境紛争」の解説の一部です。
「清の状況」を含む「清露国境紛争」の記事については、「清露国境紛争」の概要を参照ください。
- 清の状況のページへのリンク