清やロシアの中央アジア進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
「貿易史」の記事における「清やロシアの中央アジア進出」の解説
18世紀には、カザフ・ハン国やコーカンド・ハン国と、中央アジアへ進出した清やロシアとの間で貿易が行われた。コーカンド・ハン国は交易が盛んなタシュケントを領土として、中央アジア交易を主導した。清はジュンガル王国を征服して、唐の時代以上の領土を得る。東トルキスタンは新疆とも呼ばれて清の文化が流入した。カザフやコーカンド・ハン国は清に朝貢として馬、牛、羊を送り、清は回賜として繻子、綿布、茶を送った。 ロシアはエカチェリーナ2世の時代に中央アジアの併合をすすめる。ヨーロッパと中央アジアのルートがつながると、タタール人が中継貿易を活発にして、カザンが拠点として繁栄した。カザフとロシアの貿易はオレンブルク、トロイツク(英語版)、ペトロパブルなどで行われ、カザフは家畜や毛皮、ロシアは織物や金属製品、食料を輸出した。
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