泡瀬の京太郎
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泡瀬の京太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/13 09:08 UTC 版)
「京太郎 (沖縄の芸能)」の記事における「泡瀬の京太郎」の解説
沖縄市泡瀬には、京太郎の芸を舞台芸能として構成したものを、明治時代に首里から移り住んだ寒水川(スンガー)芝居の役者から地域の青年たちが芸を受け継いだとされる、「泡瀬の京太郎」が伝承されている。泡瀬の京太郎の初演は1906年とされており、1958年には泡瀬京太郎保存会が結成された。1978年に沖縄市の民俗文化財、1980年に沖縄県初の県指定無形文化財にそれぞれ指定され、2005年には文化庁から無形民俗文化財に選択された。 演者は、太鼓打ち1名、馬頭をかたどった飾りをからだの前につけ、その手綱をとる姿で登場する馬舞者(ウマメーサー)2名と、陣笠を冠った10-12名ほどの踊り手からなる。演目としては、「早口説(ハヤクドゥチ)」、「扇子の舞(オージヌメー)」、「御知行の歌(ウチジョウヌウタ)」、「馬舞者(ウマメーサー)」、「鳥刺し舞(トゥイサシメー)」が伝えられている。踊りには、歌と三線が伴奏するが、踊り手が歌いながら踊る場面も多く、また「馬舞者」は萬歳に似た掛け合いをおこなう演目である。泡瀬では、地区の祝事の場などで、年に数回ほど京太郎を上演している。 泡瀬の京太郎は口承で伝えられて来たが、2012年には国の「ふるさと文化再興事業・地域伝統文化伝承事業」の一環として保存会によって練習用DVDが製作された。
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