河川環境の改善
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小渋川は、小渋ダムより下流およそ5.1キロメートル先で天竜川へと合流する。小渋ダム完成以来、出水などを理由とするダム放流中を除き、その区間は水のない状態が続いていた。また、小渋ダム湖より上流、生田ダムまでの1.7キロメートルの区間もまた、無水区間となっていた。 この無水区間を解消して河川環境を改善を図る小渋ダム水環境改善事業の一環として、生田ダムより毎秒0.7立方メートル、小渋ダムより毎秒0.72立方メートルの水が常時放流されることになり、2000年4月より開始された。これによって無水となっていた区間に再び水が戻り、河川環境が改善されたことで水棲生物の増加を確認。河川利用者数も事業着手以降増加し、事業目的のひとつでもあったレクリエーション・教育の場の提供も果たしている。
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河川環境の改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 14:37 UTC 版)
宮中取水ダムや西大滝ダムが完成する以前の信濃川は、水産資源が豊富でサケの漁獲量は1万8千~4万尾が記録として残っている。しかしダム建設によってサケの遡上(そじょう)が困難となった 。流域の漁民との間では補償交渉が持たれ、最終的に補償額が43万円(当時)支払われダムに魚道が設置された。とは言え、補償交渉が妥結したのはダム完成から2年が経過した1941年(昭和16年)であり、また魚道におけるサケの密漁もあって遡上数は減少。サケ漁は一挙に衰退し1940年(昭和15年)には終焉を迎えた。 戦後もこの状況は変わらず、河川の流水が発電用水として多く使用されていることでダム下流の流量は減少。西大滝ダムから魚野川合流点まで流路延長にして63.5キロメートルの区間が極端な減水区間となり、魚類の生育はもとより藻類の異常繁茂によって悪臭を放つなど河川環境が著しく悪化した。これは信濃川に限らず大井川などダムを多く抱える河川において見られた問題であり、流域自治体は発電用水利権更新時に取水量を抑制し河川の水量回復を電力会社に要請していた。しかし取水量の減少は発電量の減少を意味し、売上高の減少に結びつくものとして電力会社は容易に受け入れなかった。 長野県は1980年(昭和55年)、「千曲川サケ遡上作戦」(「カムバックサーモン」キャンペーン)を開始。千曲川にサケ遡上を復活させるために21年間で1億6,000万円かけて稚魚 899万匹の放流など注力した。これにより1998年(平成10年)には西大滝ダムで2尾、21年間の累計48尾のサケが確認されるも根本的な解決とは言えず、この間にも1997年(平成9年)に河川法が改正され、「河川環境の維持」が重要な方針の一つに挙げられた事から信濃川においても本格的な河川環境の回復が図られるようになった。2001年(平成13年)7月20日、国土交通省北陸地方整備局・信濃川工事事務所を事務局として流域市町村等で組成される「信濃川中流域水環境改善検討協議会」は、断流、減水区間の根本的解消を図るため、東京電力・JR東日本の協力を得て西大滝ダム・宮中取水ダムからの河川維持放流を開始した。放流量は開始前に比べ西大滝ダムで30倍の放流量であった。この河川維持放流は減水期である夏季から秋季にかけて毎年行われ、現在西大滝ダムでは放流開始前に比べ75倍の放流を継続的に実施している。 この結果サケの遡上数は次第に増加し、2005年(平成17年)には長岡市にある妙見堰において1日あたり694尾ものサケの遡上を確認(国土交通省調べ)。1982年(昭和57年)に遡上数の調査を始めて以来最高を記録した。宮中取水ダムでも数十尾のサケ遡上が1日当りで確認されており、西大滝ダムでも遡上数が増加している。これは河川管理者・流域自治体・電気事業者が協力して河川環境改善に努めたことによる成果である。
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