水曜1部時代
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「小峯隆生のオールナイトニッポン」の記事における「水曜1部時代」の解説
ファミコンゲームコーナー(正式タイトル不明) 任天堂のファミリーコンピュータ用ゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』が人気だった当時、この番組でゲーム内容に合うような歌詞をリスナーから募集。こうしてスーパーマリオブラザーズのテーマ曲に歌詞が付けられ『GoGoマリオ!!』とタイトルが付けられたこの曲は、プリンセス・ピーチ(谷山浩子)の歌唱によってミュージックテープが製作され、最初はこのコーナーのノベルティとして配布され、のちにポニーキャニオンから正式に発売された。また、小峯がゲーム最後のワールド8-4のピーチ姫が見たいと一度番組で訴えたところ、リスナーから最終ステージのピーチ姫を撮ったビデオテープが届き、各々のゲームクリア法に驚いた小峯とこの番組のスタッフが「本よりビデオの方がわかりやすい」として、リスナー協力のもとでビデオ製作に取り掛かり、こうしてラジオ界初の市販ビデオであったゲーム攻略ビデオ『マリオの大冒険』が完成し、ポニーキャニオンより1986年4月5日に発売された。 「オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ」も参照 真夜中の鶴田コール 当時AM2:40頃から放送されていたコーナー。リスナーと電話をつなぎ、ジャンボ鶴田が観客に向けて拳を振り上げ「オー!」と一緒にやっていた「鶴田コール」(小峯は個人的にこれを馬鹿にしていた)を深夜に大声で家族や近所の迷惑を省みずにやろう、というコーナー。毎回リングネームを名乗った3人ほどが電話出演、小峯の煽りに応えるように「オー!」の叫びを電話口で響かせていた。毎回チャンピオンには賞金5000円、準チャンピオンにも3000円が贈られていたことがあった。 良い子のゲッチャン 他
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水曜1部時代
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「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」の記事における「水曜1部時代」の解説
ボヨヨンロック替え歌 水曜1部時代の目玉的なコーナー。『ボヨヨンロック』は本番組(水曜1部)終了後の1989年4月19日に大槻、内田のスペシャルユニット「まんが道」の名義でシングルCDとしてリリースされた。ちなみに「ボヨヨン」とは大槻的に言って“普通の状態”のこと。ハイテンションの時は「ニコニコ」、テンションが下がる時は「オロロン」、それらの全てを超越した状態の時は「バカボン」と言っていた。 大槻デンスケ只今参上 リスナーからの指令に従い、大槻がデンスケ(携帯型録音機)を担いで様々な所にインタビュー、取材に出向いていた。 モミモミテレホン 主に女性リスナーに電話をつないで、エッチなことを言わせていたコーナー。後に「午前2時のシンデレラ」と改題。 真夜中の声ずもう 2人のリスナーと電話をつなぎ、約10秒間大声を上げさせて対決させていた。 リッチ大槻とオラクル後藤の占い対決 悩みごとのあるリスナーと電話をつなぎ、大槻が“ギター占い師・リッチ大槻”に扮し、ハープ占い師のオラクル後藤と一緒にその回答を出していた。 ケンさんのコーナー ホモにまつわる体験を募集していた。 空手バカボン一代 世の中のとんでもないものや変わった人物、事柄を紹介していたコーナー。 人の噂も75日 有名人にまつわる様々な変な噂、またはそのネタを紹介。 ルミ子のダンナ 有名人の関係者、または私物などになりきって「こういうことをされた」などの“体験談”ネタを募集していた。当時小柳ルミ子と大澄賢也の年齢13歳差結婚が話題になっていたことから出来たコーナー。 猟奇の話 リスナーから幽体離脱体験など、奇妙な話、怖い話、心霊にまつわる話などを募集し、大槻が声のトーンを落としてはがきを読み、トークをしていた。当時オールナイトニッポンには「怖い話をすると番組が終了する」というジンクスがあり、それに挑戦していたとのことだったが結果としてはそのジンクスに引っ掛かることとなった。 ケンドン! タイトルは「欽ドン!」のもじり。 Hの2乗 大友康平さんコーナー HOUND DOGの大友康平のような人を紹介するコーナー(例:「サンキュー」の後に「ヨンキュー」と言う)。 電話でマンダム リスナーと電話をつなぎ、チャールズ・ブロンソンが出演していた当時のマンダムのCMのように、大槻が「う~ん」と言った後にリスナーが「マンダ~ム」と返す掛け合いを行っていたコーナー(「ミャンダァ~ム」と言うことが多かった)。「マンダム」は当時、大槻がライブのMCでもよく発していたセリフでもあった。 日本のロック大図鑑 日本のロックミュージシャンの紹介、及びロックミュージシャンのゲストコーナー。メジャーデビュー直前のX(エックス)をゲストに迎えた時に「“バツ”だー!」と言って紹介したことがある。 岩田麻里、むっふんべろべろ事件 1989年3月29日の「ボヨヨン・フェスタ'89in銀スタ」が、初めての全国ネットのラジオ番組出演だった岩田は、本番前に広島の実家や友人などに「オールナイトニッポンに出演する」という電話をし、極度に緊張していた。そんな岩田に、大槻は自己紹介のツカミとして、うのせけんいちのマンガのギャグである「むっふんべろべろ」というセリフを伝授。大槻に「ウケるよ」と言われた岩田は、オープニングの自己紹介の際、ハイテンションで「むっふんべろべろだよ!」と言ったが、初の公開生放送で、同じく緊張していた大槻は、岩田が発したギャグを一切拾わずスルーした。また、銀河スタジオに居たリスナー達もうのせけんいちを知らなかったために、岩田はただ「ワケのわからないことを言っている人」になってしまう。ちなみに「ボヨヨン・フェスタ'89in銀スタ」は深夜1時から4時間の生放送だったが、全国ネットだったのは、深夜3時まで(「オールナイト1部」)であり、岩田が1部である時間帯に発した言葉は、その「むっふんべろべろ」のみであった。大槻は、翌週の放送で、このエピソードを笑い話として披露し、岩田に謝罪した。
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