武蔵オリオールズ
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「ワイルド・リーグのお荷物球団」と評されている。本拠地も東京都小金井市にあるなど、『野球狂の詩』の東京メッツに似たイメージの球団。 新田小次郎(にった こじろう) 本作の主人公。投手。左投左打。日本海高校出身。3年春の甲子園大会で100イニングス無失点優勝。夏も決勝まで無失点で準優勝の成績を引っさげ、1981年ドラフト会議で全球団ドラフト一位指名を受けるも、ドラフト制度に反発し、1年浪人。 1983年、ドラフト制度廃止に伴い、武蔵オリオールズへ入団。背番号は「1」。新人で開幕投手となり、前期シーズンは16連勝無敗、完全試合2回、一試合19奪三振の記録を達成するも、後期シーズンは「光の直球」に拘った結果、一転して大不振に陥る。 基本的に、抜群の伸びのストレートと切れの良いカーブだけで勝負する速球派投手だが、実際には器用な選手で、フォーク、チェンジアップ、スライダー、シュート、ナックルを投じることもできる。 『ドカベン ドリームトーナメント編』での設定は「肩の故障が長引き、ついには治らず、クビになったのは6年も前」と里中に解説され、2006年に自由契約となっている。2009年以降は女池少年野球クラブの監督をしており、肩は回復していたが、この時点での最高球速は140キロに留まっていた。しかし、新潟ドルフィンズの岩田鉄五郎監督と五利一平ヘッドコーチの説得により、ワンポイント専用のストッパーとして現役復帰する。 伊達正次(だて しょうじ) 投手。右投右打。背番号「17」。1982年シーズンは15勝を挙げ、チーム唯一の2桁勝利投手となるなど、オリオールズのエースとして君臨していたが、1983年シーズンは小次郎との確執により、シーズン途中で大阪ドジャースのエース・通天閣と交換トレードされる。 玄畜(げんば) 三塁手。右投右打。背番号「44」。1982年シーズンは35本塁打を記録した、オリオールズ不動の4番打者。作中では「10年オリオールズ一筋の主力」と評されている。 猿谷(さるたに) 捕手。右投右打。背番号「10」。作中では玄蕃と同じく「プロ10年目のベテラン」と評されているレギュラー捕手。打率は低いが長打力があるらしく、打順は5番を打つことが多い。 堀田一也(ほった かずや) 遊撃手。右投左打。背番号「2」。俊足の1番打者。性格は陽気でチームのムードメーカーでもあるが、並外れて気が短いのが短所。チーム内では玄蕃の舎弟分という立ち位置。 日照続(ひでり つづき) 指名打者・外野手。右投右打。背番号「4」。1974年にプロ入りした当時は投手だったが、1976年に肩の大怪我で野手転向。1978年にオリオールズへ移籍し、2番・指名打者のレギュラーとなる。 プロ10年目の打撃職人で、打撃技術は一流だが、ボールに力負けするため長打力はない。しかし、風に逆らわない右打ちの技術で堀田の盗塁を援護するなど、数々のテクニックを持つ。イメージ的には大熊忠義と得津高宏が混ざっている。 『ストッパー』では引退し、大阪ガメッツの2軍監督を務めている。「再生屋」の異名を持ち、不振に陥っていた軟投派ストッパーの三原心平を中堅手へコンバートしている。 『ドカベン ドリームトーナメント編』では、小次郎と同じく新潟ドルフィンズに選手として在籍。岩田鉄五郎の代走として登場した。 馬場(ばば) 投手。右投。背番号「21」。 度の強い眼鏡をかけた大柄な男。制球が悪く度胸もないため、なかなか一軍に定着できなかったが、酒に酔って登板したら制球力が上がり、思わぬ好投を見せる。以後は小次郎と通天閣に次ぐ主力投手へ成長した。 酒に酔って好投したくだりは、今井雄太郎のエピソードが元になっている。 山本武蔵(やまもと むさし) 捕手。右投右打。新発田六明館高校出身。 1982年、捕球技術に長けていたことから、新発田電機の内定を蹴り、浪人時代の小次郎のパートナーを務める。1983年はノンプロに在籍していたが、後期シーズン、小次郎の強い要望で「光の直球」専門キャッチャーとしてオリオールズに入団。小次郎専用捕手となる。背番号は「0」。 『ドカベン ドリームトーナメント編』では引退し、少年野球のコーチとなっていた。
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