武蔵の大踊りとは? わかりやすく解説

武蔵の大踊り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/25 15:16 UTC 版)

十津川の大踊」の記事における「武蔵の大踊り」の解説

武蔵盆踊り大踊り開催日 8月14日 場 所 吉野郡十津川村大字武蔵武蔵小学校校庭雨天時は横のお堂内) 大字小原十津川対岸にある大字武蔵盆踊りは、8月14日夜に現在は廃校となっている旧武蔵小学校(もと長盛山光明寺)の校庭組んで行われる。こちらも元は寺の堂内で踊られていたが、参加者増加に伴い1950年代頃から屋外で行うようになった。この堂は今も校庭の隅に残っており雨天のときに使われている。盆踊り青年会主催し婦人会武蔵保存会協力行われており、大踊り武蔵保存会中心となって踊る。武蔵保存会村内ではいち早く1965年昭和40年1月結成された。 踊りお松口説きお杉口説き花づくし・笠くずし・笠踊りおかげ踊りなど30余曲あるが、それらを踊ったあと大踊りが踊られる。現在伝承されている大踊りは1曲のみであるが、かつて踊られていた、十三四五鎌倉踊り・御城踊りは本踊りといい、広義大踊りに含む考え方もある。十三四五は胸に太鼓吊り下げる形式のもので、近隣の同曲の中でも武蔵のそれは一番賑やかであったという。 大踊り馬鹿踊りとは異なり男女分かれて踊る。まず近く太鼓と撥を持った男性並び、その外側に扇を持った女性、その外側灯籠のついた笹竹を持つ子どもたちが並ぶ。最初モト歌は動き少な静かな踊りである。音頭取りが「ナムアミダブツ」を唱える踊り手一同囲んで輪になり、太鼓男性たちが太鼓持ち太鼓打ち二人一組となって輪の内側に入る。続くセメ呼ばれる部分になるとテンポ上がり歌い方や踊り方変わり動き激しくなる。「弱い奴はまくり出せ」の掛け声の中で踊りの場は高揚し踊り輪の内側では太鼓打ちははねるようにして太鼓打ち女性たちは腰を屈め小原西川比べ武蔵が最も前傾姿勢)扇を大きく翻し踊り灯籠持ち踊りの場を駆け巡り雰囲気盛り上げる。昔は最後に灯籠焼いたという。つまり盆の灯籠送り作法行っていた。また仮装した道化者が出る年もある。 馬鹿踊り3時間に対し大踊り30分は曲、踊りともに変化富み、始まるとまたたく間に終わるように思われる。かつての大踊り1時間超えるものであった1970年昭和45年)の大阪万博公演の際に時間制限設けられ短縮し以来地元で踊る場合短くなったという。この万博時に猛特訓行ったことで踊り洗練され以前男性のみで歌っていたもの男女掛け合いで歌う形になるなど万博公演大踊り変化与えた少子高齢化による伝承憂慮もあり、武蔵では村外後継者育成にも力を入れている。北海道新十津川町への伝承普及活動1979年昭和54年)に始まった。翌1980年昭和55年)には新十津川おどり保存会組織され1983年昭和58年)に大踊り伝承した新十津川町小学生が母訪問研修十津川村訪れる際には武蔵宿泊し盆踊り伝授するなど交流続けている。また奈良県下の小学生武蔵宿泊する機会には盆踊り練習参加してもらうなど、外部への伝承活動積極的に行っている。さらには30年上武盆踊り通い続けているという音楽学者中川真大阪市立大学)が率い一団が、2013年現在毎年8月にやって来て準備練習盆踊り参加しており、武蔵盆踊り欠かせない伝承者一員となっている。

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