新宿メッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 13:35 UTC 版)
立地条件は武蔵オリオールズより良いはずだが、東京エンゼルスをヤンキースの立場にしているためか、「赤字続き」と評されている。 軍司巌(ぐんじ いわお) 一塁手・指名打者。右投右打。背番号「44」。 1年ごとに両足のアキレス腱を切断。3年間にわたる孤独の戦いを経て、4番・指名打者で復帰。 1981年シーズンは東京エンゼルスの板東を超える58本塁打の新記録で本塁打王となり、120得点で得点王。リーグMVPにも輝き、「日本一の巨砲」と讃えられている。門田博光のイメージが混じっている。 国友力(くにとも ちから) 三塁手・遊撃手。右投右打。東大一高出身。3年夏の甲子園大会では4番・三塁手。決勝まで4割3本塁打を記録し、優勝したことから、「リッキー」の愛称で人気者となる。 1981年ドラフト会議では東京エンゼルスへの入団を希望していたが、小次郎のハズレ1位で新宿メッツに指名される。背番号は「3」。 1982年のルーキーシーズンは2番・遊撃手に定着。新人王に輝く。広角打法のセンスに加え、気迫と執念を持つ、攻守に長けた万能選手。世間からは同年齢の小次郎とライバル関係に見られている。 火鳥竜(ひとり りゅう) 投手。右投。背番号「0」。精密なコントロールを武器に、15年間プロで高給を取ってきた抑え専門投手。数々の大病から立ち直ってきたことから、「奇跡の男」「ゼロファイター」「ザ・プロ」と呼ばれている。
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