新宿プラザ終焉とは? わかりやすく解説

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新宿プラザ終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:31 UTC 版)

新宿プラザ劇場」の記事における「新宿プラザ終焉」の解説

東宝洋画系の旗艦劇場として親しまれた『新宿プラザ劇場』だったが、入居している新宿東宝会館老朽化2006年にはアスベスト除去工事行っていた)や新宿コマ劇場含めた歌舞伎町一帯再開発重なり2008年11月7日をもって閉館となった最後1週間となった11月1日から11月7日までは、『新宿プラザ劇場ラストショー』と題した閉館イベント開催11月1日:『ベン・ハー11月2日『2001年宇宙の旅』 11月3日4日:『ゴッドファーザーPart IIII11月5日『トップガン』 11月6日:『サウンド・オブ・ミュージック』 が上映され最終日11月7日には同館史上最高の収益をあげた『タイタニック』をシネマスコープの大画面上映し39年間の歴史に幕下ろした新宿地区には、新宿バルト9ティ・ジョイTOHOシネマズ共同経営)や新宿ピカデリー松竹マルチプレックスシアターズ直営)など、都心シネマコンプレックス開館しており、こうしたシネコンによって映画興行変貌興行体制見直すことが要因となった。この劇場閉館により、日本国内で1,000席を超える映画館は『新宿ミラノ1』(1,064席)のみとなった歌舞伎町方面日劇1(現・TOHOシネマズ日劇スクリーン1)系チェーンは『レッドクリフPart1』(2008年11月1日公開)から新宿アカデミー劇場引き継いでいたが、2009年11月30日をもって閉館したため、『イングロリアス・バスターズ』(2009年11月20日公開)からは新宿ミラノ2移行されている。 なお、当劇場閉館以降歌舞伎町地区にあった映画館はそのほとんどが1年以内全て姿を消し唯一残った新宿TOKYU MILANO2014年12月31日をもって閉館した歌舞伎町映画館系譜初めてとなる3ヵ月半の空白期間挟み、当劇場跡地建設される新宿東宝ビル」に、シネマコンプレックスTOHOシネマズ新宿」が2015年4月17日(金)オープンした

※この「新宿プラザ終焉」の解説は、「新宿プラザ劇場」の解説の一部です。
「新宿プラザ終焉」を含む「新宿プラザ劇場」の記事については、「新宿プラザ劇場」の概要を参照ください。

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